明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役



惰学記




Louisiana Mama(ルイジアナ・ママ*1)

 60年代、8チャンネルの人気番組「ザ・ヒットパレード」を見ていた世代なら、飯田久彦*2の「ルイジアナ・ママ」を知らない人はいないはずだ。「あの娘はルイジアナ・ママ やってきたのはニューオリンズ 髪は金色 目は青く 本物だよデキシークイーン」という歌詞はポップスの訳詞家・漣健児の名訳*3の一つで、1962年の大ヒットポップスとなった。
 飯田久彦は他にデル・シャノンの「悲しき街角」、ポール・アンカの「電話でキッス」などもカバーしており、アメリカンポップスが全盛だった60年代、かなり人気のあるアイドルだったが、オリジナル曲がない分、大ヒットには恵まれず「ルイジアナ・ママ」が唯一のヒット曲と言っても過言ではない。中尾ミエの「可愛いベイビー」のようなものだ。
 デビュー15年目の75年にプロデューサー転身を図り、日本ビクターに入社、松崎しげる、ピンク・レディー、岩崎宏美らを担当し、周りの評価がもうひとつだったピンク・レディーを「世紀の大スター」に押し上げる原動力となった。その後、99年3月、ビクターエンタテインメント専務取締役、そして同年6月テイチクエンタテインメント社長、2005年6月には同社会長となり、さらに翌年11月にはエイベックス・エンタテインメントに移って、72歳の今も取締役を務めている。常に新天地に挑戦する人生である。人気歌手から音楽プロデューサーに転身した例は、最近では小室哲哉やハロープロジェクトを育てたつんくがいるが、かつては飯田久彦の他にはホリプロのスカウト部長となった守屋浩(本名・邦彦)=僕は泣いちっち、大学かぞえうた、有難や節など=ぐらいしか私は知らない。
 原曲を歌ったジーン・ピットニー(1941~2006)は、他に「非情の町」「恋の1/2」「メッカ」「リバティ・バランスを撃った男」などのヒットがあるが、日本では何と言っても「ルイジアナ・ママ」である。だが、この曲は実は米国では全くヒットしなかったそうだ。
 
*1 今回のコラムは、昨年12月に発刊した「百歌自典」に「ルイジアナ・ママ」として掲載済みである。
*2 飯田久彦は1941年8月23日生まれ。1961年に「悲しき街角」でレコードデビューした。
*3 漣健児(本名・草野昌一=1931~2005)の訳詩には、他に童謡「赤鼻のトナカイ」、坂本九「すてきなタイミング」、中尾ミエ「可愛いベイビー」など見事な作品がいくつもある。元の歌詞に忠実なのに、日本語として分かりやすく、しかも原曲に見事に乗っているという名訳だ。「Louisiana mama」については、本文に掲げたルイジアナ・ママの訳詞の最初の部分と元の歌詞を比較してもらえば、その見事さがよく分かる。
♪She`s my red hot Louisiana mama From a town called New Orleans
Golden hair and eyes of blue My real live Dixie queen
My Louisiana mama from New Orleans


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