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19>早く楽にしてあげたい……

 

   まず進さんたちが着き、続いて伯母と私の女房、お手伝いの女の子二人も控室にかけつけて来た。さらに後援会長の石井さん(22)ご夫妻や親戚の者も続々現れ、狭い控室はぎっしり満員になった。母は目を伏せて
 「どうして急に……、大丈夫かしら」
とつぶやく。
 「運が強い人だから、今度も絶対大丈夫ですよ」
と楽観的なことを言う人もいるが、医師団から話を聞いてきた進さんは
 「どうもむずかしいようですな……」
と肩を落としている。
 「何度も危機を乗り越えられたのは、心臓が人一倍丈夫だったからなのに、それが急に止まるなんて…」
 母は、あまりにも急な変化が、どうしても信じられないようすであった。
午前二時すぎ、予定通り緊急の記者会見が行われた。その直後から病室のある二階の廊下はマスコミ関係者や、急を知ってかけつけた県民の方々でいっぱいになった。控室の前にはカメラマンが待機していて、人が出入りするたびにフラッシュがたかれる。そんな中で医師団から、病室へ来るように、と連絡があった。
 病室には医師と看護婦があふれ、身動きできないほどであった。父は首を横にしてベッドに横たわっていた。人工呼吸器で酸素が送られるたびに口元が動く。その動きが
 「もうだめだ」
とつぶやいているように見え、実に痛ましい。
 「がんばって、しっかり」
と大声を出すが、意識はもうないらしく、目も開けないし、何の反応もない。おなかを見るとどうしたわけだろうか、あの手術前のときみたいに、またポンポコリンにふくれ上がっている。母や伯母たちが思わずすすり泣く。ベッドの横には、カラのアンプルが山のように積まれている。強心剤を打ち続けてようやく心臓が動いている状態なのだ。
 三分ほど病室にいただろうか。医師の一人が
 「ではそろそろお引き取り下さい。またお呼びできるときにはしらせます」
と告げる。母はそのまま付き添っていたいようすだったが、しかたなくまた控室へ戻った。
そのあと、何度か病室から連絡があり、訪れた親戚たちが二、三人ずつ交代で病室に入ったが、私は父が痛ましくて、もう行く気になれなかった。
 時間があっという間に過ぎていく。いつの間にか窓の外が明るくなりだした。だが控室の中だけは少しも明るくなった感じがしない。十六日、そして二十三日と、これまでに二度、私たちは控室で同じようにかたずをのんで待った。だがその二回は、待つことに一縷の望みがあった。今度は全く希望のない待ち時間である。そのやるせなさは、何とも形容しがたい。母がポツリと言った。
 「あんなにしてても、お父ちゃまを苦しめるだけじゃないかしら」
 私も全く同じ気持であった。もうこうなったら、早く楽にしてあげたい---あのすさまじい状態を見たら、誰でもそう思うに違いない。だが、そんなことを思うまでもなく、もう"その時"は来ていたのだった。


(22)石井産業の石井堅三社長(故人)

 
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