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2>「長い橋を渡る夢を見た」

 

 父はその前夜、大阪で急に腹痛を訴えはじめた。痛みを押して、車で和歌山に戻り(3)、かかりつけの医者に深夜の往診をしてもらったが、痛みはおさまるどころか、ますます強まる一方。あとから考えれば、その時、徐々に血管が破れはじめたわけだが、その痛さは想像を絶するほどのものだったらしく、父はじっと横になっていることも、眠ることもできず、一晩中
 「痛い、痛い」
 と叫びながら、家の中をかけずり回っていたそうだ。
 夜明けを待ちかねるようにして医大に向かった父は、病院に入る前
 「痛いけど、病院ではあんまりかっこうの悪いまねはできんし、弱った」
 と母に言ったそうだ。冗談半分のことばではあったが、それからの十九日間、父はどんな苦しみの中でも、決して取り乱したりしなかった。『男なら人前で弱音を吐いたりはしないぞ』という決心を守り通したのである。
 医大では、すぐにレントゲン検査が行われた。父はレントゲン室までは肩を支えられながらも、自力で歩いて行ったという。しかし、それから数分もたたないうちにショック症状が襲った。徐々に破れかけていた血管が、ついに破裂したのだ。
 母はその直前、医師からレントゲンの結果を聞いた。
 「大動脈瘤の疑いが濃い。そうだとすればいずれそう遅くないうちに破裂する。そうなったら手の施しようがない」
 医師の話を聞き、母の顔からみるみる血の気が引いた。
 「とにかくこのことを父に悟られてはいけない」
 母はそう思い直し、蒼白になった顔を直そうと、洗面所へ向かった。その時、病室の周りが、バタバタ、とあわただしくなった。医師の言った『そう遅くない時期』が、もう訪れたのである。病室に駆け込んだ母が見たのは、血の気の全くなくなった父の顔、その胸を必死でマッサージしている医師の姿だった。必死で血圧を測る看護婦。その口元が
 「血圧ゼロです」
と動く。  「もうだめだ」
 そう思いながら母は目を閉じた。
 父にとって最初の危機がこの時だった。私たちに急報が入ったのもこの時である。しかし、この危機は、居合せた先生方の機敏な処置で、何とか突破することができた。心臓マッサージで、父は息を吹き返したのである。
しかし、息が戻ったといっても、事態は最悪である。このままにしておけば、いくら輸血で血を補っても、どんどん腹の中に流れていくだけ。やがてはその血が肺まで圧迫して呼吸困難になる。それも時間の問題だ。

(3)当時は阪和自動車道が泉南以南しか開通しておらず、第二阪和国道も岸和田周辺は一部区間しかできていなかった。旧26号線を走るしかなかったが、15日は岸和田のだんじり祭りの日で、旧26号線は交通規制され大渋滞して、大阪−和歌山間は通常より大幅に時間がかかった。

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