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5>「これからが大勝負だ」

 

榊原先生と執刀者の橋本先生(10)が到着されたのは午後八時半を少し過ぎた頃だった。大阪空港からヘリコプターに乗り継ぎ、住友金属グラウンドに着陸、そこからパトカーの先導で猛スピードで病院まで走って来たのだ。
 「榊原先生が見えました」
 誰かが大声で知らせる。重苦しかった病室に、久々にホッと安堵の空気が流れる。すぐに急ぎ足で大柄の榊原先生が病室に入ってきた。
 「先生、待ちかねておりました」
 父はかなり大きな声でそう言った。よほどうれしかったのだろう。手をぐっと差しのべた。榊原先生はその手をしっかり握りしめ、
 「私が来たらもうだいじょうぶです。安心して下さい。すぐ手術しましょう」
と大きな声で励ます。父はうれしそうに榊原先生を見つめ、
 「先生、大手術なんでしょうか」
 「いや、たいしたことはありませんよ」
 榊原先生は安心させるようにサラリと言って病室を去った。
 母と私たちは医師の控室に呼ばれた。そこには榊原先生と橋本先生が腰かけていた。榊原先生も病室の時とはうって変わった厳しい表情だ。院長が、手術には大変な危険が伴なうこと、破裂箇所の発見、止血が遅れたら手術中に出血多量で死ぬこと、その確率がかなり高いこと、しかし、もし手術しなければジリ貧で、助かる道はないことを説明、それでも手術を選ぶか、と念を押した。
 「ええ、それはもうしょうがありません。主人が手術を待ちこがれているのですから、手術をとにかくしてやって下さい。あのままではあまりにかわいそうです」
 母はこう言って承諾した。私たちにも異存があるはずがない。
 「よろしくお願いします」
そう言って三人は病室へと戻った。
 いよいよ待ちかねた手術だ。痛みはじめてからちょうど一昼夜、破裂してからでも十二時間以上たっている。ずい分長かった。病室の外には、夜遅いというのに、たくさんの人が心配して集まって下さっていた。病室までやって来て
 「知事さん、がんばってや」
と励ましてくれる人もいる。父は苦しさをこらえながら、笑顔を作っていちいち握手で答える。
 だが血を吐く回数はますます増え、
 「こんなに苦しいと、どうでもいいような気になってくるなあ」
と、ちょっぴり弱気なことばも出る。
 ようやく手術の準備が整った。ベッドのまま手術室へ運ばねばならない。何人かの県の方たちと一緒に、私もベッドを持った。
 「ひょっとしたら、手術室への道は、父にとっては片道なのかもしれない」
 そんな不安が胸をかすめる。手術室に行くまでの間も、父はほとんどひっきりなしに血を吐いていた。それでも意識はしっかりしていた。手術室を出る直前、私が手を握って
 「がんばってよ」
と励ましたら、ギュッと握り返し
 「建一もがんばれよ」
と、逆にシッタ激励されてしまった。日中青年の船で父と一緒に中国へ行った矢部さんという看護婦さんが付き添っていて下さったが、彼女の話では、麻酔をかける前に
 「これからが大勝負だ」
と、つぶやいて自分を励ましたそうだ。

(10) 榊原先生の弟子、橋本明政・東京女子医大教授
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