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6>「父はやっぱり運が強い」

 

 その夜は、蒸し蒸しするような暑い夜だった。手術室の外の廊下で、かたずを呑んで時を待つ私たちには、暑さと不安が重なって、本当にいたたまれないような気持だった。
 二時間ほどたっただろうか。手術室から先生が一人出て来て、ようすをしらせて下さった。手術は、ほぼ順調に進み、予定より早く終わりそうだというのである。
 それまで暗かった廊下が、急に明るくなったような感じだった。母の頬にも少し赤みが戻った。そして、セキを切ったように、父が痛みを訴えてから病院でショック症状を起こすまでのことを進さんに向かってしゃべり始めた。家にいる間にショックを起こしていたらひとたまりもなかった。腰が痛いというので電気マッサージ器を使ったが、その時に破れていたら、と思うとゾッとする。医者に大動脈瘤と聞かされ、病室へ戻る途中にもう騒ぎになっていた---などの話だ。そしてこの同じ話を母と進さんは、それから十九日間、ほとんど毎日のようにすることになる。
 手術は成功だった。あらかじめさまざまの検査で破裂場所を推定し、開腹と同時に、血の海の中から手探りでそこを押さえて止血、患部を切り取って代用血管と取り替えるわけだが、破裂箇所が推定通りだったことと、血管手術のベテランである橋本先生の手ぎわのよさで、危機を乗り越えたのである。
 手術を終えて控室に戻った医師たちのもとへ、母と私たちは、とるもとりあえずお礼に伺った。
 先生たちは
 「とにかくよろしゅうございました。いま新聞にも、余病を併発しなければ一ヵ月後には退院できる、と発表したところです。腎臓に影響が出ているとまずいなあ、と思っていたんですが、手術の結果、患部は腎臓より下であることがわかりましたし、出なかった小便も術後に出ましたから腎臓は大丈夫と思います。それにしても、手術しなければ、もう今ごろは亡くなっていたでしょう。本当に危いところでした」
と説明して下さった。どの顔にも、ホッとした表情が、ありありと見えた。その時にはまさかそのあと、あのような経過をたどるなどとは、思いもよらず、母も私も、
 「本当にすべてがうまくいった」
 「父はやっぱり運が強い」
などと明るく語り合ったものだった。
 安心して急に眠くなった私たちは、それから朝までぐっすり眠った。

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