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9>「ヤマは乗り越えた」はずが

 

  二十日までの回復は順調で、医師団は二十日の記者会見で
 「術後のヤマは乗り越えた」
と発表した。しかし、その直後からようすがおかしくなるのである。そろそろ動きかけるはずの胃腸が、全然機能回復のきざしを見せない。そういえば前の盲腸のときも、経過順調と聞いて安心して私たちが東京へ帰った後で、熱が下がらなくなり、とうとう再手術するようなことになってしまった。今度も、同じようなことになりそうな気がして、私は徐々にまた不安になってきた。力道山や玉ノ海などのことも頭に浮かぶ……。
 そして一番心配されていたことがついにおこってきた。手術後しばらくは出ていた小便が、全く出なくなり、腎臓機能がうまく働いてないことが明らかになってきたのである。腎臓が働かないと、血液中の老廃物を取り除くことができず、体の中を、毒素を含んだ汚れた血が循環することになる。そのままにしておくと、やがては頭に毒がまわり尿毒症で死んでしまうのである。手術後の所見では、破裂部分は、大動脈から腎動脈が分かれている場所より下だったので、腎臓には影響がなく、正常に働くとみられていた。医師団も
 「腎臓が冒されていると大変だが、それが大丈夫だったので安心しました」
と説明していたのだが、その大変な部分に異常が出てきたのだから具合が悪い。血液中の尿素窒素量(老廃物の度合)が増えはじめて、医師団はその対策にまた何度も会議をするようになった。
 そうした情報は、私たちのところへは断片的にしか伝わって来なかったが、進さんなどにはかなり詳しく知らされていたらしく、進さんたちは、またひどく深刻な表情になってきた。明るかった控室に、またかげりが見えはじめ、全体に暗い空気が流れはじめた。
 結局、人工腎臓による血液の透析(手首から血管を出して、人工的に血液の老廃物を取り除く治療法)しか手はない、ということに医師団は一致。医大にはその装置がない(16)ので、他の病院から借りて来ることになり、病室の周辺は、その準備で急にあわただしくなった。
 医師団は私たちに
 「慢性の腎臓障害なら、一生透析を続けなければなりませんが、知事さんの場合は急性のものですから、透析で尿素窒素量が安定したら、継続しなくても大丈夫です。仮に慢性化したとしても、週に一、二度透析しながら肉体労働に従事している人もいますし、腎臓は二つのうち一つあれば十分機能しますので、移植という方法もあります。血のつながった人の腎臓なら、拒絶反応の心配もありません」
 と説明する。私は、移植と聞いて一瞬ドキッとしたが、父が元気になるためにどうしても私の腎臓が心要とあれば、移植することもしかたあるまい、と思った。
 とにかく、まずは透析である。承諾を求める医師団に母はもちろん
 「よろしくお願いします」
と言った。しかし母は非常に不安な表情だった。というのは、父は倒れる一ヵ月ほど前に海南の病院を視察して、透析を実地に見たことがあり、その時父は非常にショックを受け、帰ってきてから母に
 「あんなになったらいやだなあ」
と、もらしたいきさつがあるからだ。その透析を、一ヵ月もしないうちに自分が受けなければならないとは……。

(16)人工透析は今でこそ普及しているが、当時は装置を持っている病院はまだわずかだった
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