明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

志談 市談 私談


<1>立候補決断まで

■市長になってから3年過ぎましたが。

 父親(故・大橋正雄知事、昭和50年死去)の姿を見ていましたから、忙しい仕事だということは分かっているつもりでしたが、これほど神経が疲れるとは思いませんでした。

■政治家になるという気持ちはもともと、あったのですか。

 毎日新聞に勤めていた時は、あまり考えたことはありません。父が亡くなってすぐ、政治家になる気があるのだったら、今のうちにどうだと言ってくれた人は何人かいました。その時は、奈良支局から大阪本社に異動してまだ半年ぐらいで、選んだ新聞記者の道で頑張ろうと思っていましたから、全くそんな気にはなりませんでした。その翌年、新自由クラブができた時と、昭和55年の衆参ダブル選挙の時に誘われたことがありましたが、やはり、新聞の仕事を続ける気持ちが強かったので、そういう話はずっと断ってきました。

■当時、政治への関心はあったのですか。

 新聞に関わっていたので、もちろん政治への関心はありましたね。大阪でも東京でも整理部の選挙担当をしました。毎日新聞の候補者名鑑のスタイルなど、私の担当時代に決めたものが今も使われていて懐かしく思ったりします。和歌山市政については、和歌山に住んでいる母や知人から、その都度いろいろ聞いていましたから、当然関心はありました。

■それでは、政治家を意識したきっかけはあったのですか。

 5年ほど前ですが、和歌山市在住の知り合いに頼まれて、新聞づくりについて市内で卓話をしたことがありました。その会で、紹介者が和歌山には私に期待している人がいるというようなことに言及されました。「ああ、そう思っていてくれている人が今もいるのだ」とその時思いました。今から思えばあのことが大きなきっかけのような気がします。東京に転勤した昭和60年以後、在京の和大付属中学同期生の会の万年幹事をしていましたし、年を取るごとに自分が育った和歌山市への思いは強まっていったんだなあと思います。

■いつ市長選に出ようと決断を。

 3年前の6月初めに、父の元秘書だった県会議員さんから「東京へ来ているので赤坂のホテルに来ないか」という電話が会社にありました。夕食をご馳走してくれるのだろうと気楽な気持ちで行ったら、そこは自民党和歌山県連の東南海・南海地震の勉強会の席でした。さっそく別室に呼ばれて、県連の幹部の皆さんから「いろいろ問題のある前市長の任期があと半年余で、自民党が対抗馬探しをしている」と「単刀直入に」市長選への出馬を打診されました。突然の話だったので「少し考えさせていただきたい」と答えてその日は帰りました。
 その後、社の親しい先輩や在京の和大附属中学同期生、和歌山の知人らに相談しましたが、賛否両論、いろいろ意見がありました。和歌山に関係ある方々から、情勢を伝えるメールが連日届き、そのうちに和歌山から全国紙の記者が訪ねてきたり、地元紙に私のことが載ったりし始めたのです。
 自分の心の中で決心したのは、6月22日、私の誕生日だったと思います。56歳になって、新聞社生活もひと区切りの時期でしたし、知事だった父が愛し、私が育てられ、今も母親が住んでいる和歌山市のために役立ってくれと言われたら、「ここで逃げるのは男じゃない」と思ったのです。そうこうしているうちに、7月4日に市議会が市立大学設置議案を否決し、前市長が辞表を提出、8月25日市長選挙と事態が急展開しました。あとは乾坤一擲「えーい」という感じです。

(10月6〜13日)

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