明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

志談 市談 私談


<3>まず驚いたこと

■市長に就任して、驚いたのは。

 財政が厳しいことは知っていましたけど、その厳しい理由が、基盤整備にお金が使われていて、例えば下水道を整備してきたので借金がかさんだのなら仕方がないと思っていました。が、就任してみて、ご存じのように下水道の普及率があまりにも低いことにまず驚きました。和歌山市もお金持ちの時があったので、その時代に基盤整備に必要な投資ができていれば、随分違っていたと思いますが、残念ながらそうはいかなかったようです。

■財政難でも、下水道整備は進めておられますが。

 下水道の整備がちゃんとできていないと都会の体をなしません。和歌山に移り住んできた人たちが「下水がないのか」と、都会生活に当たり前にあるものがないことに驚きます。せっかく和歌山に人口を呼び戻そうとしても、そこでつまずいてしまうのが現状です。

■基盤整備では、道路整備も課題と思われますが。

 厳しい財政状況では、幹線道路と、ぜひとも必要な道路を優先的に進めるしかありません。しかし、道路が1本できることの波及効果はとても大きくて、例えば西脇・山口線は、昨年南海本線をまたぐ区間が開通してから、車の流れがすっかり変わりました。木の本の方から走ってくると、延時でみんな右折していたのが、今は直進車の方が多いのです。
 ようやく調査区間になった大谷から大阪府岬町までの第二阪和国道は、ライフラインとして防災面でも大変重要と思っています。

■というのは?

 大地震が起きると、今の道路は寸断される恐れがあります。そうすると、救援物資が来るのに時間がかかる。救助隊も入れない。そのために犠牲者が増えることもあるわけです。
 ちょうど30年前の9月15日に、私の父親は大阪の韓国総領事館での会合で腹痛を起こしました。大阪の病院に行けばよかったのですが、和歌山まで車で帰ろうとしました。まだ阪和自動車道も泉南から海南までしかできていない時代です。道路はそれこそ旧国道26号線一本。その日は岸和田のだんじりの日で、大変な渋滞に巻き込まれ、帰宅が大幅に遅れてしまいました。そのため大動脈瘤破裂が手遅れとなり、19日後に死去しました。こういう経験からも、人の命を守るという意味で、道路は本当に大切だと考えています。

■道路などの基盤整備と共にお城に注目したまちおこしや観光に力を入れていますが。

 第二阪和が全通すると、関空や大阪方面から県境のトンネルを抜けて和歌山市に入ることになります。目の前を紀の川が流れ、遠く正面に和歌山城が見えるという、まさに和歌山市の表玄関になると思います。また、京奈和自動車道が開通すれば明石海峡大橋ができて淡路島や四国に流れた観光客を和歌山に呼び戻すことができると期待しています。

■そこで和歌山城は・・・。

 真中に緑の城山があって天守閣がそびえている町は少ないです。皇居である江戸城は東京の中心部にありますが、城山も天守閣もない(笑)。
 市民のお城に対する愛着も並々ならぬものがあります。昭和二十年の和歌山大空襲で天守閣が焼失してからわずか十三年後に、一億円余をかけて再建されました。その費用の五五%が市民の浄財で、一般会計からは三%しか出していません。全国的にも、戦災で焼けた城再建の先鞭をつけたといわれます。これも市民の強い想いの現れだと思います。

■市長は、再建当時の思い出があると聞きましたが。

 附属小学校五年のころです。三年坂を隔てた教室の窓から天守閣が建っていく姿を毎日眺めていました。その前は石垣を登って、城跡の原っぱに行き、よく遊びました。

(10月27〜11月3日)

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