明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

志談 市談 私談


<9>こども時代のこと

■正月なので聞きますが、市長の子ども時代の正月の過ごし方は?

 毎年、紅白歌合戦が終わると、父親が「さあ行こう」と声を掛けて、親子で初詣に行きました。三社まいりでは済まず、六社も七社も回りました。二日は大勢のお客さんが次々見えて一日中にぎやかでした。おかげで、お年玉をどっさり頂き(笑)、ホクホクでした。我が家のお雑煮は関東風の澄まし汁で、餅は切り餅でした。餅つきの記憶はなくて、大晦日にお店から届く平べったいお餅を、お雑煮に入る大きさに切るのが私の役目でした。焼いた切り餅に鶏のささ身、三つ葉、ほうれん草、かまぼこが入ったお雑煮は今も懐かしく、新聞記者時代も、和歌山に帰ってからも三が日は毎年必ずお雑煮です。

■市長の子ども時代は、どんな子どもだったのですか。

 実は私は幼稚園を三つも「中退」しました。最初は1年通ったのですが、年中に上がるとリボンの色が変わるはずだったのが、その年から三年間同じリボンになったと先生に言われたのがショックで(笑)、行かなくなりました。次は近所の小さな幼稚園でしたが、しつけが大変厳しくて、一日で逃げ帰りました(笑)。
 最後の園はいじめに遭って中退しました。ひ弱でちょっとからかわれると、すぐ泣き出すので、やんちゃな子は面白がって、ますますてがうので泣いてばかりでした。今思えば子どもの世界では普通のことですが、一人っ子で傷つきやすかったので、精神的に耐えられず不登園になったのです。小学校入学前は「これで義務教育が務まるだろうか」と歳に似合わぬ心配をしていました。

■小中学校はいかがでしたか。

 附属小学校でも、最初はよく泣いて先生を困らせました。でも、仲間外れにもされず、親切で優しい友だちに恵まれました。私は四年生まで自転車に乗れなかったのですが、友だちが手伝ってくれて乗れるようになりました。高学年から中学時代は友だちと一緒に、当時流行していた西部劇のまねとか、8ミリ映画を作ったり、ポップス音楽にかぶれたりと本当に楽しい時を過ごしました。

■市長は今年、年男ですが。

 今年は還暦の年男で大きな節目の年です。節目の年らしくしっかり進みたいと決意を新たにしています。
 平成十八年は丙戌(ひのえいぬ)です。受け売りですが、戌という字は茂みに光を通すようにするという意味を持ち、丙は光が箱の中に入ることを表しているのだそうです。これまで以上に改革に取り組み、和歌山市に明るい光がいっぱい入ってくる、そんな年にしたいと思います。

■夏に市長選挙が控えていますが。

 三年半前、和歌山市に元気を取り戻したいという思いで東京から帰ってきました。今考えてみても、当時は、まち全体が自信を失い沈滞しているように見えました。この間、私なりに一生懸命、まじめに取り組んできました。良くなったこともあれば、まだ良くなっていないこともあります。そしてもうひと頑張りということもあります。市長になって、この一期目は地ならしの期間だったと思います。市民の皆さんにいろいろ辛抱していただいたことが、これから少しずつ花開いていく、そのためにもうひと働きすべきだと心を決めました。誇りを持てる、元気で明るい和歌山市にするため、市民の皆さまの審判を仰いで、もう一期、市長を務めさせていただきたい、そういう思いで昨年の十二月議会で再選出馬への決意表明をしました。

(1月5〜12日)

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