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余りに突然の・・・

 中学時代の同級生らのバンド「’50s(Fifties)」のことは随分前の惰学記「イエローサブマリン」で書いたことがある。そのFiftiesが「さよならFifties」と題したライブを11月18日に東京・新宿で開いた。今回で解散というわけではなくて、メンバーの大半が60歳台に突入、「Fifties」ではなくなるという意味の「さよならFifties」である。
 私は前日まで全国市長会や関西空港関連などの陳情、東京都三鷹市長との新春対談収録のための出張で東京にいたので、私費で滞在を延長し、ライブに参加した。実は前にFiftiesのメンバーと飲んだ時に、記憶はないが、身の程知らずにも「1曲歌わせろ」と言ったらしい。それを覚えられていて、100人ほどの前でエレキの伴奏でホンマに歌う羽目になってしまったのである。曲は私が中学2年だった1960年にヒットしたアメリカンポップス「Running Bear(悲しきインディアン)」。和歌山で1回と当日の昼に音合わせをしたので、何とか最後まで英語の歌詞を歌うことができたが、観客は迷惑だったに違いない。
 このライブ、和歌山からも同級生らが何人か聴きに来ていたが、そのうちの1人が和歌山大学附属小学校1年生から4年生まで同じクラスだった西庄の松本内科の院長・松本眞佐子女医(旧姓・鳥山)である。彼女は附属中、桐蔭高校から和歌山県立医大に進み、卒業後、勤務医を経て開業した。患者さんの信頼が篤いお医者さんで、大恋愛で結ばれたご主人は日赤和歌山医療センター勤務の医師である。私が4年半前、初めて市長選に立候補した時、彼女は待合室でミニ集会を開いてくれた、かけがえのない友人の一人であった。
 化粧っ気は余りないが、同級生の中でも若く見える方で、いつも笑顔がチャーミングだった彼女は、酒好きで、飲むとどんどん明るく元気になるので、同級生の間でも人気があり、みんなが集まる時には欠かせない存在だった。Fiftiesの東京ライブには前も何度か来てくれたことがある。今回もライブの途中からロックンロールに合わせて踊り出すほど元気だった。ただ、私は知らなかったが、前から少し血圧が高かったらしい。そして、その夜、思いもよらぬ悲しい出来事が起きてしまった。
 ライブのあと私はすぐ帰ったが、彼女は他の同級生グループとFiftiesメンバーとともに2次会に行き、さらに飲んだらしい。午後11時半ごろ、和歌山から一緒にきた友人の女性と歌舞伎町から歩いて西新宿のホテルに戻り、そのまま別々の部屋で休んだ。翌朝、その友人が様子がおかしいと気づいた時には冷たくなっていた。本当に突然の別れである。
 お通夜には、患者さんや小中高大学時代の友人、ご主人の関係者ら1000人以上が参列、別れを悲しんだ。ご主人やお子さんたちは、いまだに信じられぬ思いだろう。彼女の前夜の元気な姿を見ていただけに心が痛む。ただご冥福を祈るのみである。合掌。



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