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受け手発想

 私が31年間働いた毎日新聞は、今から15年前の1991年11月7日に「新聞革命」と銘打って紙面の大幅刷新を行った。インテリジェント・ブルーと名付けた青地に白抜き明朝体の大きな題字を採用、通常の15段の紙面では新聞の折り目が7段目と8段目の間になって折りたたんだまま読むのに不便だということで、一番上に半段の大型ページ案内を置き、折り目と段の境を一致させた。それまではタブーとされてきた紙面の端から端まで段が通る「ハラキリ」を折り目と重なる段に限って解除、切り抜きやすい新聞にするなど紙面の体裁を大きく変えたのである。キーワードは「受け手発想」で、分かりやすい、読者の目線に立った記事を、読みやすく、切り抜きやすく掲載するというコンセプトだった。
 この考え方はその後も受け継がれ、事件容疑者や被告の呼び捨てをやめるとか、署名記事を増やすなどの改革が継続的に行われた。毎日新聞社は後に、片山駿君の交通事故死に端を発した2000年のキャンペーン報道から、01年の「旧石器発掘ねつ造」スクープ、防衛庁の個人情報収集にまつわる02年、03年の連続スクープまで新聞協会賞を4年連続受賞したが、この快挙は「受け手発想」が記者に浸透した結果達成されたものだろう。本年度も「『パキスタン地震』一連の写真報道」で受賞が決まったのはご同慶の至りである。
 91年の紙面刷新当時、私は名古屋に単身赴任中だったが、翌年8月、東京本社のデスクに戻った途端、紙面改革の第2弾を担当することになり、記者の目や社説、解説、投書など面の新パターン作りに携わった。特に印象に残っているのが社説欄の改革だった。
 それまで、社説には各社とも判で押したように十数文字1行の見出しがついていた(写真A参照)。形を変えるだけでは芸がないと考えていた時、私と組んでいた若手の鬼才・糟谷雅章記者(現・編集局編成総センター部長)が「テーマをつけませんか」と言い出して出来上がったのが写真Bのスタイルの社説である。その社説が何について書いているのかをまず短い文字数で示した上で、主張のポイントを従来型の見出しで表すように改めたのである。それまでの社説の見出しでは、何について書いているのか筆者にしか分からない「送り手発想」だったのを、「受け手発想」に改めた画期的な改革だったと思う。毎日新聞が91年に実施した紙面改革で、他紙が追随したのは、読売新聞が2000年12月から文字拡大に伴い1ページの段数を14段にすることで折り目と段の境を一致させたことくらいだが、社説のテーマ表示は、今では日経を除く全国紙がすべて追随している(写真C)。大げさに言えば協会賞級の先駆的な改革だったと、いささか自慢したい気持ちである。
 言わずもがなのことかも知れないが、「受け手発想」を行政にも取り入れようと考えて作ったキャッチフレーズが和歌山市の職員に呼びかけた「気くばり市役所」である。


A=昔(1992年より前)の各紙社説欄(左から毎日、朝日、読売、産経)


B=92年の紙面改革の時毎日新聞が始めた「テーマ表示型」の社説欄


C=2006年、今の各紙社説欄(左から毎日、朝日、読売、産経、東京、日経)、日経だけが昔の見出し1本の形式を踏襲している

 

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