I will support Ohashi For tomorrow.
  HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談



新生貴志川線

 4月1日、南海貴志川線が、わかやま電鉄貴志川線に生まれ変わった。和歌山市のJR和歌山駅と紀の川市(旧貴志川町)の貴志駅を結ぶ延長14.3kmのローカル線は、90周年を迎える年に、廃線の危機を乗り越え、新たなスタートを切ることになったのである。
 新生貴志川線の始発電車出発式は1日早朝、貴志駅で行われた。まだ真っ暗の駅前は、小嶋光信社長以下の和歌山電鐵関係者、両市民、行政関係者、国会・県会・市会の議員さんたち、鉄道ファン、そして大勢のマスコミ関係者のカメラの放列で、あふれんばかりとなった。氷点下に近い寒い朝だったが、存続運動の中心となった「貴志川線の未来をつくる会」のメンバーが前夜から準備した「ぜんざい」が振る舞われ、みんなホカホカの上機嫌で式典に参加した。小嶋社長、知事代理のあと、私もあいさつしたが、この2年半のことを思うとまさに感無量で、小嶋社長や中村・紀の川市長と改めて固い握手をした。
 貴志川線をこのコラムで書くのは4回目なので、説明は簡単にするが、モータリゼーションの波に侵食され、乗客が減少する一方の貴志川線について、南海電鉄は03年秋に「毎年5億円の赤字で、経営努力も限界」と撤退方針を示し、翌年9月に廃線届を国交省に提出した。もはや廃線やむなしかと思われた流れを変えたのは、後に「つくる会」を結成した沿線住民のパワーだった。廃線届が出る寸前に、NHKの「ご近所の底力」に出演して、存続を全国にアピールしたのがきっかけで、数件の打診や問い合わせが来た。「枠組みさえ整えれば民間会社が受け皿になってくれるかもしれない」という希望が生まれたのと、廃線届が出てタイムリミットが1年と決まったことで、両市町の担当職員が燃えた。国、県を巻き込んで折衝を重ね、県が用地取得費と変電所施設整備費負担に同意。10年間の運営費補助を上限8億2000万円とし、和歌山市が65%、貴志川町(現紀の川市)35%負担する条件で公募し、応募9社から岡山電気軌道が選ばれた。その岡電が和歌山電鐵を設立、南海も撤退を半年延期してくれた結果、4月1日の営業譲渡が実現したのである。
 午前5時28分に貴志駅を出発した始発電車の運転席には24歳の女性運転士が座り、2両の前1両が一般乗客、後ろの車両が来賓用とされたが、いずれも超満員。2両目では式典の続きが行われ、木いちごのジュースで乾杯、議員諸先生や「つくる会」代表の濱口さん、デザイナーの水戸岡さんらが次々あいさつしているうちに、電車は定刻の午前5時58分、JR和歌山駅に到着した。大勢が乗れ、時間が正確な電車の良さを再認識した。
 水戸岡さんのデザインによる「いちご電車」もう走っていると誤解した人も多いが、残念ながら作業の都合で夏にずれ込む。しかし、「いちご電車」が走り出せば、それがまた全国的な話題となり、多くの鉄道ファンが来てくれるはずで、楽しみがまた一つできた。


まだ暗い貴志駅前で「貴志川線の未来をつくる会」のメンバーが作ったぜんざいをいただきながら、濱口会長と談笑


始発電車に乗務する女性運転手に沿線の向陽高校生から花束が贈られた


午前5時28分に発車した新生貴志川線の一番電車内では木いちごのジュースでみんなが乾杯(私の左が中村・紀の川市長)


水戸岡鋭治デザイナーによる貴志川線「いちご電車」のイメージ図=7月にはこんな楽しい電車が走る予定だ


「いちご電車」の車内イメージ図。こんな電車なら乗るのが楽しみである

<back>
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談

 大橋建一へのご意見等は、こちらから。  E-Mail : info@ken-ohashi.jp