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『最後の授業』考

 国語の教科書でフランスの作家ドーデの「最後の授業」を読んで感動したのは私だけではないはずだ。ドイツ統一を目指すプロシアに、統一を阻止したいフランスが敗れた普仏戦争(1870〜71)後、ドイツ領となったフランス東端のアルザス地方の小学校の話だ。占領軍命令でフランス語の授業が打ち切られ、担当のアメル先生が最後の授業を行う。「フランス語は世界中で一番美しい、一番はっきりした、一番しっかりした言葉だ」「民族が奴隷になった時、国語さえしっかり守っていれば、自分たちの牢屋のカギを握っているようなものだ」と語り、最後に黒板に大きく「フランス万歳」と書いて、生徒や村人たちに背を向けたまま「これでおしまいです……帰りなさい」と手で合図するところで物語は終わる。初めて他国に占領された敗戦直後の日本人の思いと共通するものがあり、国語の大切さを印象付けた意味でも、私たちの世代には忘れられない教科書の一節だったと思う。
 ところが、この話は1986年にすべての教科書から姿を消した。田中克彦という人が81年に『ことばと国家』(岩波新書)を出版し、@アルザスは元々ドイツ語地帯で、17世紀の30年戦争後にフランス支配下に入ったBアメル先生は国語であるフランス語を話せないアルザス人にフランス語を教えるために来ていたので、戦前、韓民族に日本語を国語として教えた日本人教師と同じ立場だDドーデはアメル先生やフランス政府の側からフランス語優位論を宣伝したに過ぎないEフランスは第1次大戦後アルザスを奪還し、再び徹底的なフランス語教育をアルザス人に施すが、それでも、現在に至るまでこの地域ではドイツ語に近い土着語が広く使われているF従って「最後の授業」は史実をゆがめた物語だ――という論旨で、「最後の授業」を日本の教科書に載せることを批判したためである。
 事実関係はその通りであろう。私も最初に「最後の授業」を読んだ時、「へー、フランス語ってそんなに素晴らしいのか。勉強しようかなあ」と思った覚えがあるし、前回触れた志賀直哉の「フランス語国語化論」なども「最後の授業」が脳裏にあったと推測できる。
 しかし、宣伝だろうが何だろうが、国語の大切さを感動的に訴える「最後の授業」の値打ちに変わりはない。ヨーロッパは元々いくつもの言語が国境とは異なる複雑な地図を描いている地域で、だからこそ国家の一体性を保つためには国語教育が重要だと19世紀から国家が強く認識し、そこから「最後の授業」という作品を生まれたのである。どんな文学・芸術作品にも時代背景があり、動機不純を理由に作品の価値を否定するのはおかしい。
 日本人は国家、民族、国語がほぼ1本に結びついている世界的には稀有な存在で、その分、国語の大切さの認識が薄いようだ。「国際化時代の要請」を大義名分に、小学校での英語必修を推し進めている人たちに、もう一度「最後の授業」を読んでもらいたいものだ。

※「最後の授業」の文章はポプラ社世界名作文庫版(文・南本 史)=写真=から一部平仮名を漢字に直して引用した

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