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ミミとデボラ

 10月の半ばに、私の幼年期から学生時代にかけてとても印象深かった二人の美女が相次いで世を去った。スコットランド出身の往年の名女優、デボラ・カーと、五輪競泳の日本代表から始まって幅広い分野で活躍したミミこと木原光知子(本名・美知子)である。
 デボラ・カーはイギリス映画の「黒水仙(1947年)」で注目され、ハリウッドに渡った。こういう表現をすると誤解を招くかもしれないが、デボラはハリウッド女優にはない気品を備えた風貌で「イギリスの薔薇」と呼ばれたそうだ。「キング・ソロモン」「クオ・バディス」「ゼンダ城の虜」など歴史ものに多く出演したが、真珠湾を扱った53年の「地上(ここ)より永遠(とわ)に」(共演バート・ランカスター)が評判となって以後、当時のハリウッド二枚目スターと次々共演し、50年代を代表する大スターとなった。戦争未亡人の恋を描いた「誇りと冒涜=56年」(ウィリアム・ホールデン)、シャム王と家庭教師の「王様と私=同」(ユル・ブリナー)、シスターボーイという流行語を生んだ「お茶と同情=同」(ジョン・カー)、エンパイヤ・ステート・ビルでの6ヵ月後の再会を約束した2人の運命は……という「めぐり逢い=57年」(ケーリー・グラント)などである。「地上より永遠に」は見ていないが、「ゼンダ城の虜」「めぐり逢い」「王様と私」は母に連れられて見に行った気がする。  特にミュージカルの「王様と私」は印象に残っていて、ツルツル頭のユル・ブリナーと上品なデボラ・カーが「シャル・ウィ・ダンス」を歌いながら踊るシーンがとても懐かしい。晩年、パーキンソン病を患って療養生活し、10月16日、故郷の英国で死去、86歳だった。
 ミミの愛称が似合うスラリとした美女の木原光知子は私より2歳年下で、背泳ぎ、自由形、個人メドレーをこなし、岡山の山陽女子高1年の時に東京五輪代表となった。メダルには届かなかったが、後に日大に進学し、アイドル的存在となり、メキシコ五輪出場が確実視されていたが、予選会でまさかの代表落選となり、競泳選手を引退した。当時は、後に千葉すずがシドニー五輪の代表に漏れた時と同じぐらいの騒ぎだったような気がする。
 私は大学3年目のころ京王線下高井戸駅近くに住んでいた。日大通りと言われる下高井戸駅から日大文理学部に続く道で学生時代の彼女とすれ違い、「おっ、木原美知子だ」とドキッとしたことがある。それだけが彼女との接点だったが、何となく親しみがあり、スポーツ関係のイベントで和歌山に彼女が来た時には名刺を交換し、しょうもない昔話をした覚えがある。引退後、水着モデルやタレント、女優としても活動したミミは、シニアや子どもたちに水泳の楽しさを教えることをライフワークとして元気に活躍していたが、10月13日、平塚の親子水泳教室で指導中、くも膜下出血で倒れ18日に死去した。まだ59歳。
 気品ある美しさがとても懐かしい東西2人の女性のご冥福を心から祈りたい。


デボラ・カー 木原光知子


デボラ・カー




木原光知子



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