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嗚呼 伊藤市長

 長崎には2度行ったことがある。最初は娘がまだ小学生の時だから93年の夏だったと思う。前に惰学記に書いたことのある国際子ども村(CISV)のサマービレッジ(世界10カ国の小学生チームが夏休みに集まり交流する10日間のキャンプ)がこの年、福岡県甘木市で行われ、娘も希望して見ず知らずの小学生3人と一緒に参加した。途中参加者の家族が招待される日があり、夏休みを利用して、我々夫婦も九州まで出かけ、その帰りに「せっかくだから」とレンタカーで長崎に回ったのである。その時は、平和祈念像のある




亡くなられた伊藤一長・長崎市長
(長崎市のホームページより)
平和公園、原爆資料館、浦上天主堂、グラバー園、出島、オランダ坂など主要な観光地を回り、坂の多い長崎のまちを満喫した。14年前、まだ長崎は本島等市長の時代であった。
 2度目は私が市長に就任して3ヵ月しか経っていない02年11月27日である。長崎市で開催された中核市サミットに出席するため訪れたもので、サミット開催市の市長として、伊藤一長さんが獅子奮迅の活躍をしておられたのを思い出す。伊藤市長とはこの時が初対面みたいなものだったが、真面目で純朴で誠実なうえ、非常に人懐っこくて、とっつきやすい、温かみのある方で、いっぺんに親しくなった気にさせられるお人柄だった。
 今でこそ地方の中核都市にも人口減の波が押し寄せているが、当時は中核市で人口減が著しいのは長崎市と和歌山市だけだった。長崎市は三菱重工業長崎造船所の規模縮小に伴って、85年には45万人近かった人口が、05年には41万6千人まで落ち込んだ(現在は合併で45万人台になっているが、減少に歯止めがかかったわけではない)。和歌山市も住友金属の規模縮小が響いて、85年のピーク時40万1千人が、現在は37万2千人まで減っており、非常によく似た歩みである。海と観光が売り物だという共通点に親しみを感じるとともに、路面電車が料金100円で生き残っていることをうらやましくも思った。
 伊藤市長は中核市市長会の副会長を務め、全国市長会会長の山出保・金沢市長の信頼も篤かった。4月10日に東京で開催された市長会の理事会は選挙前でお見えにならなかったが、普段の総会や役員会にはほぼ出席しておられ、顔を合わせると、いつも丁重にあいさつしてくださるので、こっちが恐縮するほどだった。全国市長会は6月に役員改選時期を迎え、2期4年間、難局のかじ取りをされた山出会長が退任する。伊藤さんは九州市長会の全面的な支持を得て「ポスト山出」の有力候補として名乗りを上げておられたのである。
 その伊藤市長が暴漢の凶弾に倒れ、逝去された。信じられぬ思いで、言葉も浮かばない。行政への不当要求は和歌山市でもいくつもあり、時には職員に暴力をふるったり、刃物を見せて脅すケースもある。職員には毅然とした対応をするよう常に言い、態勢も取っているが、こんなことがあると正直な話、怖い。今はただご冥福を祈るばかりである。合掌

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