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漫画喫茶「レオ」

 今回は学生時代の思い出話を書かせてもらう。1965年、東大に入って駒場の教養学部に通うようになった私は、1年の前期こそまじめに授業に出ていたが、その後はサボり癖がついて、サークルのあった学生会館や駒場寮、付近の雀荘や喫茶店に入り浸るようになった。当時駒場付近は喫茶店の新規開店ブームで、東に「ZiZi」、西に「レオ」、後にもう1軒「さち」という3店が相次ぎオープンした。私は少年サンデーやマガジン、キング、少女フレンド、マーガレットなど(ジャンプはなぜか記憶がない)が毎週読める漫画喫茶「レオ」の常連となり、二児の母で未亡人のママやウェートレスたちと仲良くなって、毎日のようにトーストとゆで卵とコーヒーで100円のモーニングサービスを注文していた。
 私と相前後してレオの常連になったのが、後に「タッチ」「みゆき」で一世を風靡した漫画家あだち充さんの兄で、私より1歳下の安達勉さんだ。漫画家志望の今で言うフリーターで、群馬県から出てきて仕事の傍ら、この店備え付けの画用紙に黙々と絵を書いていた。ママがよく「安達さんはうまいわねえ」と感心していたのが懐かしく思い出される。充さんの方は当時まだ中3ぐらいで、それから3〜4年後、私が妻と知り合って、レオにも妻と一緒に行くようになったころ上京、レオで時々顔を見るようになったが、印象は勉さんの4歳下の可愛い弟というだけで、後の華々しい活躍には本当にびっくりしたものである。
 兄の勉さんも、充さんもより前に一時注目された漫画家である。「タマガワくん」という二軍選手が主人公の野球漫画などがある。「増刊号の星」とも呼ばれたが、充さんが脚光を浴びて以後は表に出ず、赤塚不二夫氏のたっての願いで彼のアシスタントを長く務めた。今回調べてみて驚いたが、3年前、56歳の若さで、胃がんのため亡くなっていた。
 もう少し後でレオに通うようになったのが、この5月に亡くなった直木賞作家の藤原伊織さんである。この人も私より1学年下で、大阪府立高津高校から東大に入り、1973年に仏文学科を卒業して電通に入っている。卒業までに6〜7年もかかっているのは私と同じ紛争世代だったからで、直木賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞した長編「テロリストのパラソル」は、その東大紛争末期の駒場第八本館籠城事件が古い背景として出てくる。
 藤原伊織さんとは余り面識がなかったが、彼が直木賞受賞後、レオのママと会うことがあり、「藤原さん、よく来てたじゃない。大橋さんも知ってるはずよ」と言われて縁があるような気になり、「ひまわりの祝祭」や「シリウスの道」、短編集の「ダックスフントのワープ」なども読むようになった。ちょっと暗いけど、世代感覚が似ていて好きだった。
 藤原伊織さんも、安達勉さんも、レオの「縁者」はなぜか生き急ぎの傾向が強い。レオ自身、息子に代替わり後、生き急ぐように拡大を図り、借金が膨らんで倒産、閉店した。


「実録あだち充物語」

「テロリストのパラソル」


安達勉さんが書いた「実録あだち充物語」コミック版の表紙(読みたいけど手に入らず、FC2というブログから借用)。
写真はあだち充氏である




江戸川乱歩賞と直木賞をダブル受賞した藤原伊織氏の「テロリストのパラソル」



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