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スイなことを
(諸般の事情で今回も余談独談となる。ご容赦を)

 次々書かなければならないことが起きて、話が古くなってしまい恐縮だが、3月10日付読売新聞朝刊解説面に載った「袴田事件裁判官『無罪の心証』」という社会部女性記者の署名解説記事が気になったので書いておきたい。41年近く前の1966年6月30日、静岡(旧清水市)で、みそ製造会社専務一家4人が殺される強盗殺人放火事件があり、従業員の袴田巌・元プロボクサーが逮捕された。地裁で自供を翻し冤罪を訴えたが、死刑判決。高裁、最高裁も一審を支持し80年11月に刑が確定した。その後再審請求が出され、袴田死刑囚のボクサー仲間がプロボクシング協会に働きかけて「再審支援委員会」を設立、輪島功一さんらが中心となって再審開始を求めてきた。しかし静岡地裁は請求を棄却、東京高裁も即時抗告を棄却し、弁護側が特別抗告、現在、最高裁第2小法廷に係属中である。
 今年1月、地裁で事件の裁判を担当した熊本典道元判事(69)が「私は無罪だと思ったが裁判長ともう一人の陪席が有罪と判断、多数決で死刑が決まった」と弁護団らに伝え、再審請求運動に加わることを表明した。読売の記事はこのことを批判しているのである。




  「和歌山弁」で紹介したマエオカテツヤ著
  「ポケ単 持ち歩き和歌山弁」の「スイな」
  を説明したページ

 いわく「裁判所法は裁判官の議論の経緯や中身を公表することを禁じている。『評議の秘密』が守られなければ、自由な意見が出せなくなったり、裁判官の意見不一致が明らかになって判決への信頼が損なわれたりするからだ」「ある刑事裁判官は『評議の秘密を終生守るのは、裁判官として最低限の職業倫理だ』と批判する」として、熊本氏の言動を職業倫理違反と決め付け、さらに、重大事件の審理に市民が参加する裁判員制度が09年から始まるが、素人の裁判員が評議の秘密を守るのは難しいのではないかとの懸念があり、評議の秘密漏洩には罰則が設けられたことに触れて、「本来、裁判員の模範たるべきプロが、禁を犯しては示しがつかない」と切り捨てている。記者の主張は一般論としては誠にその通りだが、熊本氏はそんなことは百も承知で、しかしやむにやまれず告白したのではないか。
 袴田事件のことは40年近く前に週刊誌で知り、私は冤罪事件だと思っている。簡単に言えば、物証とされるものが「自白」とも矛盾していて、でっち上げの疑いが濃い典型的な冤罪パターンである。ところが記事は「死刑か無罪かの究極の事件で、自分の心証が通らなかった心痛は分からないではない」と書いているだけで、40年間拘禁され、無実を訴え続けている袴田死刑囚と、その命を何とか救いたいと立ち上がった元裁判官の気持ちに全く目を向けようとしていない。裁判所や法務省の代弁をしているだけに思えるのだ。
 和歌山弁に「スイな」という言葉がある。スイ=粋から、「粋な」ということかと思いがちだが、実は「変わった」とか「奇妙な」「常識外れの」という意味で使われる。私には、この署名記事が、書いた記者の血の通いが感じられない「スイな」記事に思えたのである。

≪注≫袴田死刑囚はアリバイがなく、元プロボクサーで、事件後左手中指に負傷していた(弁護側は事件の消火活動によって負傷したと主張)ことなどから疑われた。事件発生から4日後の7月4日に警察は袴田死刑囚の部屋から微量の血痕のついたパジャマを押収し、放火に使われたものと同種の油が付着していたとして袴田死刑囚を逮捕し、連日長時間の取り調べを続け、勾留期限3日前に自白を引き出した。袴田死刑囚は公判では一貫して否認、しかし67年8月末に工場内の味噌タンクの味噌の中から衣類5点(ズボン、ステテコ、緑色ブリーフ、スポーツシャツ、半袖シャツ)が入った麻袋が見つかり、パジャマを着ていたはずの袴田死刑囚が「犯行時に着ていた衣類」と認定され、一審で死刑判決が出た。

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