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歴史的大敗

 今回の参院選の結果を見ながら、土井社会党委員長(当時)が「山が動いた」という名文句を残した1989年の参院選を思い出した。この年は1月7日の昭和天皇ご逝去に始まる激動の年だった。リクルート事件で竹下総理が退陣、後任の宇野総理が女性スキャンダルという大逆風となり、直前の都議選の結果からも、参院選での自民党敗北は確実といわれ、非改選と合わせての単独過半数確保が焦点とされていた。私は当時、毎日新聞東京整理本部の兵隊頭で、7月23日投票の参院選当日は、デスクを補佐して選挙関係面全体を見ながら、1面の見出しと組み立てを決める「硬派本番」を務めていた。政治部の選挙担当デスクは、今やTVのコメンテーターとしておなじみの岸井成格記者だった。直前の見出し会議では、自民が負けるのは確実ということで、「自民敗北 過半数割れ」を基本に、負けが大きい時は「大敗」とか「惨敗」を使おうという話になっていたように覚えている。
 ところが、フタを開けてみると今回と同様、負け方が尋常ではなかった。当時の参院は定数が252(現在は242)、1人区が26(現在は29)だったが、自民は1人区で3人しか当選者を出せず、総獲得議席数わずか36という大敗を喫した。かつてない大惨敗であり、宇野総理は直ちに退陣することになる。さあ、1面トップ見出しをどうするかとなった。
 もはや「自民惨敗 与野党逆転」ぐらいでは物足りない。余りの雪崩現象に編集局は騒然としており、「壊滅的だなあ」といった声が飛び交う。私も冷静さを欠いて、「それだっ」と飛びついてしまった。見出しは字数が少なければ少ないほど印象度が強いことも考え、7文字で済む「自民 壊滅的敗北」としたのである。部内には「ちょっとやりすぎじゃないの」という声もあったが、岸井さんは「壊滅的には違いないしなあ……」と、やや消極的ながら反対せず、「壊滅的敗北」のまま最終版まで通った。しかしこれは私の失敗だった。
 というのは、この時は今回と違って自民の非改選議席が当選者数の倍を超す73あり、過半数は割っても比較第1党の座は揺るがなかった。従って参院の主導権は自民にあり、議長や議院運営委員長は自民が出した。後から考えれば壊滅的ではなかったのである。今にして思えば、同僚が言ったように「自民 歴史的大敗」とすればよかったと悔やまれる。
 さて今回の参院選である。1人区で自民は6勝23敗、総獲得議席は38(岐阜の推薦無所属を含む)で、改選議席数に占める獲得率は89年より3ポイント近く高い31.4%だが、問題は非改選と合わせた議席数が85しかなく、連立与党の公明などを足しても106で民主の109に及ばず、野党系の総数136より30も少なくて、議会運営の主導権が完全に野党側に移ったことだ。今回こそ「壊滅的」とも言える負け方だったが、毎日、朝日とも見出しは「自民 歴史的大敗(惨敗)」で抑えた。今回の編集者は私より冷静だったのである。

 (諸般の事情で2週続けて余談独談となりました。なお、次回活動日誌のUPは21日になる予定です)


89年参院選

07年参院選

結果比較表


 89年参院選の結果を伝える読売、朝日、毎日3社の見出し(縮刷版より)




 今回の参院選結果を伝える読売、産経、日経、朝日、毎日の各社大阪本社版の見 出し



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