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皇成おそるべし

 惰学記数シリーズ69回で、天才ジョッキー武豊が1987年に達成した新人騎手最多勝記録「69勝」は「おそらく今後破られることはないはずだ」と書いたことがあるが、私のヨミはあっさりに覆されてしまった。一般紙の11月25日夕刊で一斉に大きく取り上げられたのでご存知の方も多いだろうが、平成生まれの新人・三浦皇成(18)=美浦・河野通文厩舎=が10月11日に年間69勝に並び、25日に2勝、26日に4勝を上積みして、記録を一気に塗り替えてしまった。途中12、18、19の3日間は、さすがに新記録へのプレッシャーからか勝ち星を挙げられなかったが、11月9日現在の勝ち星は83、今年最終開催まであと15日間も騎乗機会があり、記録がどこまで伸びるか大いに楽しみになってきた。
 三浦皇成は89年12月19日に東京都練馬区で生まれた。馬を見たのは5歳の時に父親に連れられて地方競馬の東京・大井競馬場に行ったのが初めてという。三浦はその時、馬にまたがる騎手を見て「カッコいい」と思ったそうで*1、これが後に小学校5年生で乗馬を始めるきっかけだった。名人といわれた元騎手・武邦彦調教師の三男で、生まれた時から競馬社会の一員であり、弟の幸四郎も人気騎手という武豊の生い立ちとは対照的だ。
 三浦は今年3月1日付けで騎手免許を取得し、その日3度目の騎乗となった10レースの潮来特別(中山2500m・芝)で初勝利した。新人ジョッキーの場合、一般レースでは重量3s減*2という特典があるので、初勝ちは軽量を生かせる一般競走が多いが、三浦騎手は減量特典のない特別競走での初勝利だけに、デビュー当日から注目を集めたようだ。
 さて、対照的な2人の「天才」に共通しているのは、関西馬主界の大物で、「アドマイヤ〇〇」という馬名で知られる近藤利一氏の持ち馬に騎乗しないことである。武は昨年4月、アドマイヤムーンで香港に遠征、クイーンエリザベス2世カップに出走したが追い込み届かず3着に終わり、以後近藤夫妻の持ち馬に騎乗しなくなった。近藤馬主と何らかのトラブルがあったといわれる。一方、三浦はデビュー翌日にアドマイヤベッカムに騎乗し、4コーナーで突然馬がつまずいて落馬負傷、ベッカムは前足の骨折で安楽死となった。
 競馬評論家の清水成駿氏のブログによれば、これを聞いた近藤馬主が「人はええ。馬はどないなったんじゃい」と言ったため河野調教師が激怒、結局近藤馬主が河野厩舎に預託していた6頭をすべて引き揚げる騒ぎとなったという*4。三浦は次の週からレース復帰したが、大馬主とけんかしてでも新人騎手を守った河野調教師の気持ちに打たれ、以後近藤夫妻の馬には乗らないのだといわれる。近藤氏のような馬主界の実力者ににらまれながら、各厩舎から騎乗依頼が殺到し、新人の騎乗回数記録も塗り替えて*4白星街道を進む三浦は、このまま成長すれば間違いなく武豊を超えそうだ。まさに「皇成おそるべし*5」である。

 *1日経新聞連載「駆ける魂 競馬騎手三浦皇成」より
 *2重量とはレースで馬の上に乗せる騎手と鞍などの重さの合計。レースごとに馬の重量は獲得賞金額などで決まっており、オーバーしても足りなくても限度を超えれば失格になる。ただし、騎手免許取得から3年未満で通算勝利数が100以下の騎手には、一般レースに限り規定により30勝以下3kg減、31〜50勝2kg減、51〜100勝1kg減の特典がある。
 *3メールマガジン「清水成駿の競馬春秋」にこのような記述があるという
 *4三浦はタイ記録達成の日に武豊の新人年間騎乗数記録555も破った
 *5皇成おそるべしの元になった成句「後生おそるべし」についてはまたの機会に書く
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