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後生畏るべし

 前回の余談独談のタイトル「皇成おそるべし」は、言うまでもなく孔子の教えである論語の「子曰く、後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや」を借りたものだ。「後生畏るべし」はしばしば「後世畏るべし」と書き誤られる。「後世」は後の世ということだから、「後世畏るべし」なら、将来どれほど伸びるか分からない、おそるべき才能の持ち主だという意味になり、まさにスーパー新人騎手・三浦皇成にぴったりの格言に思える。
 しかし、論語は「後生畏るべし」と書いている。「後生」は文字通り「後から生まれたもの」で、年少の後輩を言う言葉である。「先生」といえば、日本語では学校の教師とか医者、議員、弁護士など特別の資格を持つ人をいう敬語だが、中国語では単に先に生まれた人のことであり、その反対語が「後生」である。従って「後生畏るべし」は「若い人を侮ってはいけない。今と比べて将来どれほど伸びるか分からない(可能性を持っている)のだから」というような意味である。となると、三浦皇成のように既におそるべき才能を発揮し始めている若者に「後生畏るべし」というのは、少しニュアンスが違うかもしれない。
 ところで、活字メディアの世界には「後生畏るべし」をもじった「校正恐るべし」ということわざ?がある。文章校正のミスは書いてあることの信用性を失わせ、時には文章を正反対の意味に変えてしまうから、校正をおろそかにしてはいけないという意味だ。
 日本語には漢語から取り入れたもの、和製のものを含め漢字2字から成る熟語がたくさんあり、その中に同音異議語が多数含まれている。しかも、中にはきわめてよく似た場面で使用される「科学」と「化学」、「私立」と「市立」、「工業」と「鉱業」、「起業」と「企業」、「異議」と「意義」などといった同音異義語が挙げればきりがないほど存在している。
 こうした同音異義語の誤植は鉛活字の時代から、筆者の勘違いや、ミスパンチ、活版植字工の採字ミスなどの原因で発生しており、その当時から「校正恐るべし」という警句は存在していた。それがワープロ、パソコン時代になって、コンピューターが同音異義語を「適当に」選んでくれるので、まさかと思うような「園芸」と「演芸」や「聖職」と「生殖」、「以外」と「意外」などの同音異義語の変換ミスに筆者が気づかず、校正担当者も見逃して、活字化されるケースが増えた。私自身もコラムを書いていて気づかないことがあり、今回も「使用」が「試用」になっていて、あわてて直した。コンピューターの辞書機能がいかに進化しても、変換ミスは避けられず、校正はますます重要さを増している。
 しばらく前だが、テレビで特番の宣伝をするテロップに「迫りくる地球温暖化の驚異」とあり、オンエアの前日まで何度も流れるので、おかしいなと思っていたら、当日ようやく気づいたようで、「迫りくる地球温暖化の脅威」に直った。「校正恐るべし」である。
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