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永世名人

 先週6月15日の日曜日に、和歌山市で女流王将戦5番勝負の第3局が行われ、連敗しカド番に追い込まれていた挑戦者の矢内理絵子女流名人・女王が158手で先手番の清水市代女流王将・女流王位を破ったが、20日に東京で行われた第4局は、清水女流王将が202手の大激戦に勝って3−1でタイトル防衛に成功した。清水の通算タイトル数は、女流将棋界で初めて40期(女流名人9、女流王将8、女流王位13、倉敷藤花10)に達した。
 女流王将戦第3局は、紀州徳川家から出て8代将軍となった吉宗が大の将棋好きだったことにちなんで3年前から始めた「和歌山城将棋まつり」に合わせて行われたもので、今回の対戦は、女流棋界に長く君臨する清水2冠と、その最大のライバルに成長した矢内2冠の「女流2トップ対決」で、いわゆる「追っかけ」も多く、大勢の将棋ファンが市内はもちろん、全国から訪れた。前にも書いたが、3年前の将棋まつりの時は、今年の名人戦と同じ森内名人−羽生挑戦者による名人戦第3局が和歌山市で行われた。この時は後手番の森内名人が勝って2−1とリードし、名人位防衛に大きく前進したが、今回の女流対決も、その時の大盤解説会に勝るとも劣らない数のファンが集まって大いに盛り上がった。
 さて、女流王将戦第3局の翌日から山形県天童市で将棋名人戦の第6局が行われ、3−2でリードしていた挑戦者の羽生善治王将・王座が105手で森内名人を破って、5期ぶりの名人復位を決め、名人位通算5期という規定により第19世の永世名人資格を得た。今回の7番勝負は、初戦が森内、第2局が羽生と先手番を持った側が順当に勝利を収めたが、第3局で、圧倒的優勢だった先手番の森内に最終盤で大きな見落としがあり、羽生が負け将棋を逆転して流れを作り、先手番の第4局と第6局を確実に勝って名人位奪取を果たした。
 実力制の名人戦が始まったのは戦前の1935年で、以後73年間に名人位に就いたのは木村義雄、塚田正夫、大山康晴、升田幸三、中原誠、加藤一二三、谷川浩司、米長邦雄、羽生善治、佐藤康光、丸山忠久、森内俊之の12人だが、永世名人の資格を取得したのは木村14世、大山15世、中原16世、現役の谷川、羽生、森内の計6人*だけである。
 ご存知かと思うが、プロ将棋の先手の勝率は毎年の平均で52〜55%であり、先手有利は間違いない。タイトル戦など5番勝負や7番勝負となる長期戦は、テニスで相手サーブをどれだけブレークできるかが勝負のポイントとなるのと同様、後手番の時に先手の「サーブ」を破れるかどうかが大きなカギとなる。「藤井システム」「8五飛戦法」「1手損角替わり」など次々現れる後手の新戦法はその工夫の表れであり、後手番でいかに勝つかの研究が将棋の進歩の歴史を作ったと言っても過言でない。しかし今回の女流王将戦は、第2局以後3局連続で後手番が勝ちを収めた。そういうこともあるのが将棋の奥深さである。

*永世名人は現役引退後に名乗るのが一応のルールだが、1992年にA級在位のまま死去した大山15世は1976年に現役のまま15世名人を名乗り、中原16世は60歳を迎えたのを期に今年4月に現役のまま今年16世名人を襲名した。谷川は17世名人、森内は18世名人の資格があり、今回19世名人の資格を得た羽生も含め、引退後に襲名できる。


6月15日の女流王将戦第3局の対局を終え、
16日朝、市役所を訪れた清水市代女流王将・女流王位(右)と矢内理絵子女流名人・女王(左)

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