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プラネタリウム

 天文学を志しながら早世した叔父*の影響で、子どものころから星を見るのが好きだった私は、小学校低学年の時にプラネタリウムというものがあるのを知り、母にせがんで大阪・四ツ橋にあった電気科学館のプラネタリウム「カールツァイスU型25号機」による星空を見に行った。本物の夜空よりは小さいが、小さな星までくっきり見えることに感動、すっかり虜になった。この機械は日中戦争が始まった1937年に「東洋初」として公開されたもので、戦災で焼失した東京の東日天文館のものより1年古い。その後1957年に開館した東京・渋谷の東急文化会館に五島プラネタリウムができたので、夏休みなどで東京の祖父の家に行った時は、ほとんど毎回東急文化会館に連れて行ってもらったものだ。
 その2年後、大阪の電気科学館天文部主任だった高城武夫さんが私費を投じて和歌山市の自宅敷地の一角にドームを建設、ピンホール型の金子式プラネタリウムを購入し、「和歌山天文館**」を開設した。高城さんのお嬢さんが同級生だったこともあり、当時中学生だった私は、南半球の星空を気前良く見せてくれるのが気に入って、8mの小ドームの夜空を見に何度か出かけた。和歌山天文館は81年に市がミノルタ(現コニカミノルタ)製プラネタリウムMS10を備えたこども科学館を開設したことで使命を終え閉館、高城さんは翌年73歳で亡くなったが、愛機はご遺族の希望もあって04年末に保存展示のためこども科学館に移され、同館では05年5月まで特別展「高城武夫と和歌山天文館」を開催した。
 東経135度線上にあることで知られる明石市立天文科学館のプラネタリウム(カールツァイスUPP23)は和歌山天文館開館の翌年オープンしたが、私は学生時代に東京から広島の原爆慰霊祭に行った帰りに立ち寄ったし、サンシャイン60(東京・池袋)のプラネタリウム(ミノルタ)には大人になってから行った程だから、当然仕組みにも興味がある。
 金子式なら鉄アレイのような投影部に星座型のピンホールが見えるので分かりやすいが、目がたくさんある潜水服のようなカールツァイス製やミノルタ製はどうやって星を投映しているのか不思議だったし、月や惑星の動きを正確に表現する仕掛けや地平線に沈んだ星がなぜ消えるのかなど謎だらけだった。この疑問を解いてくれたのが市立こども科学館で開催中の特別展「プラネタリウム投影機のしくみ」である。同館で稼働中のプラネタリウムと同型機が最近廃機となったので、それを譲り受け、解体・分解して仕組みが分かるように展示しているのである。先日、私も見せてもらったが、ギアとカムを駆使し、水銀による電流遮断などアナログ技術の粋を尽くした素晴らしい機械であることがよく分かる***。こういう昔ながらの「器械仕掛け」技術が、コンピューター時代になって失われていくのは誠に残念である。特別展は9月7日までの予定だが、もっと長く開催してほしい****

 *海軍兵学校で終戦を迎えた母の弟は苦学して東大に入り、天文学者を志していたが、駒場の体育実技の授業で800m走の途中心臓発作で倒れ、そのまま息を引き取った。今のようにAEDが備えられていれば助かったのではないかと悔やまれる。
 **和歌山天文館は当時@大阪市立電気科学館A東日天文館(戦災で焼失)B五島プラネタリウムC岐阜プラネタリウムに次ぐ日本で5番目の常設プラネタリウム館だった。
 ***ミノルタ製の光学式プラネタリウムはカールツァイス社のものを細部まで参考にして(真似て?)製作されている。技術水準はかなり高いが、原型となったカールツァイスの投映機は1926年に開発されており、戦前のドイツの優れた技術とマニアックな製作姿勢をうかがわせる名品である。
 ****当コラムが功を奏したのかどうかは分からないが、特別展「プラネタリウム投影機のしくみ」の開催期間を10月12日まで延長することが8月20日に決まった。(8月20日追記)


8月5日、和歌山市立子ども科学館で、特別展「プラネタリウム投映機のしくみ」を見学、分解された機材についての説明を聞く
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