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天守閣
今年は和歌山城天守閣再建50周年に当たる。1605年*に落成した最初の天守閣は1846年7月に落雷で全焼し、1945年7月9日の和歌山大空襲で焼失したのは1850年6月再建の天守だが、築造から100年近くを経た旧国宝で、市民の誇りだった。終戦直後、天守閣のない城山に、市民の多くは言いようのない寂しさを感じていたようで、1947年に昭和天皇が和歌山に行幸された時、当時の高垣善一市長が陛下に「今度お越しいただいた時には、天守閣の上から復興した町をご覧いただけるようにします」と約束したと言われている。しかし、当時はまだ市内各地に焼け跡が残っていて、天守閣再建など夢のまた夢だった。 高垣市長の思いは、4年後に市議会は再建基金積み立てを決めたことで一歩を踏み出し、設計準備や寄付金集めが始まった。だが、「今必要なのは城より住宅だ」という反対論も根強く、ようやく起工にこぎつけたのは、さらに6年後の1957年だった。木造による再建も考えられたようだが、戦後復興期で木材が払底しており、コストや耐火性などを考慮して、鉄筋コンクリート造りで外観は焼けた天守閣と全く同じようにすることに決まった。 工費見積もりは1億円*。市の一般会計からの支出は1800万円に抑え、県補助金や積み立て基金、競輪競馬の収益金で3200万円、寄付・募金で5000万円を賄う計画を立てた。結果的に寄付・募金は予定を上回り、1年で5750万円集まった。最も大口は松下幸之助さん率いる松下電器産業だった。松下さんは和歌山市の和佐地区出身で、生誕の地は松下公園となり、ノーベル賞受賞者で県出身の湯川英樹さんの書による記念碑が立っている。 |
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<読売新聞和歌山支局編「和歌山城物語」(ゆのき書房)などを参考にしました> *最初の天守閣は御三家になる前、浅野幸長時代に建てられた *入札したところ、各社とも1億3000万円を超え、再入札6回の末、2000万円オーバーの1億2000万円で決着した。 *和歌山城天守閣は連立式といわれる形式で、大天守と櫓のような小天守3つが菱形の4角を構成する形になっている |
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