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裁判員制度

 惰学記掲載予定の週だが、先週に続き裁判員制度について私見を書かせていただく。
 裁判員制度は「市民の持つ常識や日常感覚を裁判に反映させる」のが目的というが、そのために一般市民を参加させるというのは論理がおかしいと先週書いた。そもそも、市民すべてが一般常識を持ち合わせているわけではない。個人個人のレベルでは、わきまえている常識のレベルは千差万別だが、トータルで考えると、市民の多数意見は常識にかなったものであることが多いだけの話で、抽選で選ばれた裁判員にとんでもない人間が混ざることは十分ありうる。6人の裁判員が選ばれ、3人の裁判官とともに評議するのだから、常識が勝つはずだというのは理想論で、非常識でも声の大きい人、思い込みの激しい人の意見が常識論を抑えてしまうことはしばしば起こりうるのである。常識をわきまえない人が裁判員に選ばれ、法律や判例を無視して感情だけで人を裁こうとした時、裁判官が歯止めをかけ切れるかどうか、それが心配である。裁判官に世間知らずの頭でっかちが多いとはいえ、持っている常識のレベルが一般より低いとは思えない。常識に欠けるというなら、裁判官に一般市民の感覚と常識を学ばせる研修や実習を強化する方が筋だと私は思う。
 もう一つ、守秘義務の問題がある。裁判員は評議の内容、どういう経緯で有罪無罪や量刑が決定されたかを公表することを禁じられる。上司や家族など必要な相手以外には裁判員に選ばれたことさえ言ってはいけないようだ。しかし普通の人間が裁判員として体験したことをずっと口外しないでいられるだろうか。家族や上司が秘密を守れるだろうか。漏らせばマスコミが押し寄せるかもしれないし、被告人からの「お礼参り」の心配もあるから言わないだろうというのは楽観論である。「王様の耳はロバの耳」というイソップ寓話ではないが、言うなといわれたら言いたいのが普通の人間で、それこそ常識的に不可能なことを一般市民に求めていると思う。第一、裁判員経験者がその体験を語らずして、「裁判や司法全般に対する国民の理解を深める」という制度の目的がどうして達成できるのか。
 クリアできていない課題がまだたくさんあるのに、裁判員制度の実施を急ぐ理由は、一つは法曹3者のメンツの問題で、「決まったことだから」「5年も周知期間を置いた」といった既成事実論がそれを正当化しているように見える。もう一つは、「裁判の迅速化」にある。仕事や家庭を持つ一般人を参加させる以上、長期裁判は絶対に許されない。とかく長期化しがちな重大事件の審理を、裁判員の都合を理由に、「公判前整理」という新しい方式を導入することで、審理期間を5日以内で済ませる。こうして長期裁判を回避し、裁判官や公判検事の負担を軽減しようというのが実は裁判所と検察庁の最大の狙いではないかと感じるのは私だけだろうか。弁護士会は理想論を振りかざさず、冷静に考えてほしい。



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