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40周年
 私と妻は1970年に結婚したので、今年は40周年という節目の年だった。ものの本によると、40周年の記念日はルビー婚式と言うらしい。結婚記念日は5月29日、私が6月生まれ、彰代は4月生まれなので、2人とも23歳の時に結婚したわけである。今年は選挙の年で、支えていただいた方々にお礼する会も開けなかったのが申し訳なく、少し残念だ。
 彼女と知り合ったのは、結婚の1年余り前、「東大闘争」が収束に向かっているころだった。私は駒場で1年留年し*1、本郷の文学部に進学したのは68年4月*2だった。6月には「東大闘争」が全学に広がり*3、7月に安田講堂がバリケード封鎖されてからは全共闘の下っ端として私も講堂内にも出入りしていたが、その後の闘争エスカレートに違和感があり、69年1月18〜19日の安田講堂籠城戦は、同郷の友人の下宿でテレビ中継を見ていた。
 しかし、その日633人が逮捕され、その中には私の友人も何人かいたことや、東大生以外の多くの学生も長期の拘置所生活を送っているのに、自分は温々とシャバにいることに申し訳ない気持ちが生じ、拘置中の学生への差し入れなど救援活動の手伝いを始めた*4。やはり紛争中の上智大学から救援活動に参加していた妻とそこで知り合ったのである。
 それまではほとんど片想いに終わっていた私の恋だが、この時の出会いは、互いに「逢った途端に一目惚れ」だったようで、すぐに「真剣交際」が始まった。その夏の終わりごろ、彼女の家に初めてあいさつに行った時は、お父さん*5は、私の突然の訪問に驚き、怒って外出してしまったが、その後「和解」し、度々彼女の家で夕食を食べるようになった。
 「いずれ結婚を」と決意した2人は、その秋に和歌山を訪れて、父母にも彼女を紹介し、私は「こうなった以上は早く卒業しなければ」と思って授業にも出るようになった。彼女の方は一応順調に4年生になっており、いくつかのレポートを提出すれば卒業できることになっていたので、その手伝いなどをして、翌年3月にまず彼女が卒業、それを機会に三鷹に6畳一間と台所だけ、風呂もない小さなアパートを借りて「新生活」が始まった*6。
 彼女は荻窪にある事務所に勤め、私も卒業論文を書くため本郷の図書館に通い始めた。そして5月29日に麻布の国際文化会館で挙式、披露宴は双方の両親を含めわずか16人のささやかなもので、もちろん仲人もいなかった*7。新婚旅行は私のカローラで伊豆半島一周3泊4日、帰ってきてから婚姻届を出したので、書類上は6月2日結婚となっている*8。
 その直後に父が盲腸炎を悪化させ、彼女と和歌山へ急行、一生懸命看病したことから、父母も彼女とすっかり打ち解け、秋に和歌山で盛大な披露パーティーも開いてもらった。翌年4月の父の2度目の知事選では、彼女は県下遊説に同行し、父の身の回りの世話をした。私は6月に何とか卒業し毎日新聞社に入社、夫婦連れで奈良に赴任したのである。


*1 このホームページの「自分史」などで触れているように、私は現役で大学に入学したものの、1年生の途中から授業に出なくなり、元々不得手な英語ができなくて1年留年した。
*2 医学部の学生処分事件に端を発した「東大闘争」のため、3月に行われるはずだった卒業式が中止となって当時の学内は騒然としていた。卒業式反対の学内デモに、西洋史学科を卒業予定だった加藤登紀子さんが参加し話題になった。
*3 6月半ばには医学部の学生や研修医が安田講堂を占拠、以後は機動隊導入、抗議スト、全共闘結成、安田講堂再占拠と急展開、夏休みからは学内が次々バリケード封鎖され、ストが全学部に広がった。だが全共闘が大学当局を押しまくって優位に立っていたのは11月ごろまでで、卒業延期を恐れる4年生が浮き足立ち始め、徐々に厭戦気分が拡大、年が明けた69年1月には全共闘は全くの孤立状態となった。
*4 安田講堂「陥落」後も、文学部ではバリケード封鎖が続き、私は時々バリケードをかいくぐって研究室に顔を出す以外は、競馬新聞配達などのアルバイトに精を出していて、時間はたっぷりあった。
*5 彼女の父は一部上場企業の役員で、仕事が終わるとすぐ帰宅する真面目なマイホームパパだった。
*6 新生活は「神田川」を地で行くような貧乏暮らしで、お嬢さんだった彼女は、買いたいものが買えずに泣くこともあったが、夫婦の絆は揺るがなかった。
*7 今でこそ仲人のいる結婚式の方が珍しいが、当時はほとんどなかった。時代の最先端を行ったことになる。
*8 三鷹から新生活が始まったので、当時のアパートに二人の本籍を置いた。本籍地が三鷹になっているのはそのためである。


1970年5月29日の挙式後、東京・麻布の国際文化会館中庭で撮った記念写真(左から私の祖母、祖父、母、父、私、妻、妻の祖母、父、母)。私たち夫婦と私の母以外はすべて他界している。それにしても私は今とは比べ物にならないほど細かった!


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