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69連勝
*1 1932年正月、出羽海部屋を中心とする力士グループが協会に対し、待遇改善などを要求して東京・大井町の中華料理屋「春秋園」に立てこもり、多くの力士が協会を脱退する大騒動となった。世に言う「春秋園事件」である。最初は脱退組が優勢で、独自の興行を成功させたが、だんだん衰退、翌33年には脱退者が次々協会に戻り、脱退組はジリ貧状態になり消滅の道をたどった。この事件の中心人物が関脇だった天竜三郎で、戦後民放の大相撲解説者として活躍した。 *2 ウィキペディアなどの記載を参考にしたが、少年時代に読んだ「双葉山物語」のたぐいには必ず出羽一門の打倒双葉山作戦のことが書かれていたのを記憶している。双葉山は少年時代に右目を負傷し、入門時には物がかすんだり、二重に見える状態だったが入幕後ほとんど見えなくなったという。さらに、右手小指を2度負傷し、小指が曲がらないというハンディもあった。右目のことは伏せられていたが、「打倒双葉」をめざした出羽一門の「右足を狙う」作戦は、双葉山の取り口などから右目が悪いことを知って立てたようだ。なお、双葉山は横綱になってから1945年に引退するまでに計23敗しているが、その大半は右からの攻めに屈したものだったという。 *3 ウィキペディアによれば、赤痢の影響で体重が激減、体調不良で休場を考えていたが、横綱玉錦が前年末に盲腸炎をこじらせて急死したため、無理やり出場することになったという。もっとも、その場所休場していたら、今の記録の扱いでは、次場所以後連勝を続けても「66連勝」となる。 *4 朝青龍は1月場所14日目まで無敗で優勝を決めていた。場所後、暴力事件の関係で突然の引退となったため、この一番が最後の朝青龍―白鵬戦となった。 *5 人間的にもしっかりしていて心技体ともに充実していると誰もが認める白鵬だが、「相撲の神様」双葉山の記録が外国人に破られることへの抵抗感は根強いように思える。 *6 25歳9カ月の時点で双葉山は42連勝中だった。 | |||||
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