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69連勝
 横綱・白鵬が九州場所の2日目、稀勢の里に敗れ、連勝記録63でストップしたため、戦前の大横綱・双葉山の「69連勝」の偉大さが改めてクローズアップされることになった。
 双葉山は今から約100年前の1912年2月9日に、今の大分県宇佐市で生まれた。1927年、15歳で立浪部屋に入門、5年後に入幕したが一進一退の成績が続いた。1932年に力士が大量脱退する内紛があり*1、それまで年4場所だったのが33年からは1月、5月の2場所になってしまったこともあって、連勝が始まった36年1月場所はまだ平幕だった。
 1場所11日制の時代で、7日目以後5連勝し、9勝2敗の好成績を収めてから急上昇、5月場所は西関脇で11戦全勝、1場所で大関昇進し、37年1月も11戦全勝、13日制となった5月場所は13戦全勝であっさり横綱(第35代)に昇進した。翌38年は堂々の2場所連続13戦全勝、5場所連続全勝優勝を果たした。この時点で連勝記録は66まで伸びていた。
 日中戦争が泥沼化し、暗い世相が続く時代に、双葉山の連勝はいわば唯一の明るい話題であったと同時に、一方では、誰が連勝にストップをかけるかに世間の関心が集まっていた。当時最大の相撲部屋だった出羽海一門は、「打倒双葉」を合言葉に、部屋ぐるみで「右足を狙う」作戦を考え、まだ双葉山と対戦したことのない若手に期待をかけていた*2。
 そして39年、双葉山は前年の満州巡業でアメーバ赤痢に感染し、体調が回復しないまま1月場所に出場*3し、4日目の1月15日、前頭3枚目で双葉山とは初顔合わせだった出羽海部屋の「秘密兵器」安芸ノ海に敗れ、連勝記録は69でついにストップしたのである。
 さて、白鵬の方は今年2010年1月場所6日目まで30連勝した後、把瑠都に敗れ、12日目日馬富士、13日目魁皇と連敗した。しかし14日目琴欧州、千秋楽朝青龍*4に連勝、1人横綱となった3月場所以後4場所連続全勝優勝し、62連勝で11月の九州場所に臨んだ。双葉山の大記録がついに破られるかと多くの人の注目を集めたが、東前頭筆頭の稀勢の里に寄り切られて71年ぶりの記録達成は実現せず、内心ほっとした人もいたはずだ*5。
 両横綱の記録の大きな違いは、双葉山の69連勝が足掛け4年にわたる大事業で、連勝スタート時は平幕力士だったのに対し、白鵬の場合は横綱昇進後16場所目の今年1月からの1年6場所の間での63連勝だということと、双葉山は連勝ストップ後3連敗し、その場所9勝4敗に終わったのに対し、白鵬は翌日から再び13連勝して、5連覇を達成したことだ。
 双葉山は、次の5月場所(以後15日制)では15戦全勝、その後42年5月〜44年1月にも36連勝するなど69連勝の後に計7回も優勝し、通算12回優勝を果たした。ちなみに、白鵬の連勝ストップ時は25歳8カ月で、双葉山の連勝記録継続中の年齢*6である。1敗後13連勝で九州場所を終えた白鵬には、連勝記録更新のチャンスは年齢的にも十分ある。



*1 1932年正月、出羽海部屋を中心とする力士グループが協会に対し、待遇改善などを要求して東京・大井町の中華料理屋「春秋園」に立てこもり、多くの力士が協会を脱退する大騒動となった。世に言う「春秋園事件」である。最初は脱退組が優勢で、独自の興行を成功させたが、だんだん衰退、翌33年には脱退者が次々協会に戻り、脱退組はジリ貧状態になり消滅の道をたどった。この事件の中心人物が関脇だった天竜三郎で、戦後民放の大相撲解説者として活躍した。
*2 ウィキペディアなどの記載を参考にしたが、少年時代に読んだ「双葉山物語」のたぐいには必ず出羽一門の打倒双葉山作戦のことが書かれていたのを記憶している。双葉山は少年時代に右目を負傷し、入門時には物がかすんだり、二重に見える状態だったが入幕後ほとんど見えなくなったという。さらに、右手小指を2度負傷し、小指が曲がらないというハンディもあった。右目のことは伏せられていたが、「打倒双葉」をめざした出羽一門の「右足を狙う」作戦は、双葉山の取り口などから右目が悪いことを知って立てたようだ。なお、双葉山は横綱になってから1945年に引退するまでに計23敗しているが、その大半は右からの攻めに屈したものだったという。
*3 ウィキペディアによれば、赤痢の影響で体重が激減、体調不良で休場を考えていたが、横綱玉錦が前年末に盲腸炎をこじらせて急死したため、無理やり出場することになったという。もっとも、その場所休場していたら、今の記録の扱いでは、次場所以後連勝を続けても「66連勝」となる。
*4 朝青龍は1月場所14日目まで無敗で優勝を決めていた。場所後、暴力事件の関係で突然の引退となったため、この一番が最後の朝青龍―白鵬戦となった。
*5 人間的にもしっかりしていて心技体ともに充実していると誰もが認める白鵬だが、「相撲の神様」双葉山の記録が外国人に破られることへの抵抗感は根強いように思える。
*6 25歳9カ月の時点で双葉山は42連勝中だった。
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