I will support Ohashi For tomorrow.
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談



震災1カ月
 東日本大震災*1の発生から4月11日で1カ月が経過したが、被災地が広範囲にわたり、しかも、それぞれの被災地の負った傷があまりにも深いうえ、最近になってまたM7以上の余震が続発するようになり、その度に停電や交通機関のストップが起き、死者も出ている。被災住民の不安は去らず、復興の足がかりができたとは言い難い状況が続いている。
 特に、福島第1原発の状況は深刻で、放射能漏れを完全に鎮圧するのにあとどれくらいかかるかの目途も立っていないありさまだ。原発から半径20km圏の住民に3月12日に出された避難指示は継続中で、同15日に出された30km圏内の屋内退避指示は25日には自主避難要請となり、4月11日には30q圏外でも累積放射線量の高い地域が計画的避難区域に指定された。放射能汚染が大気、土壌、川、海に広がり、農作物や海産物、畜産品、そして水、口に入るすべてのものが風評被害にさらされ、福島県はもちろん、宮城、山形、茨城、栃木、群馬、千葉各県の農業、水産業に携わる多くの人々が生活の糧を失いつつある。
 東京電力の企業責任は取り返しのつかないほど重大である。専門家から素人まで、多くの人が指摘しているのは、今回の大震災による大津波によって甚大な被害を受けた東北地方から北関東にかけては、多くの原子力発電所が立地されているのに、壊滅的な被害を受けたのは東電の福島第1だけで、直線距離で12kmの福島第2(東電)、100km南の茨城県東海第2(日本原電)、120km北の女川(東北電)は重大事故にならなかったことだ。
 福島第1の1〜3号機は1971〜76年に運転を開始しており、4〜6号機も78〜79年運転開始だから、すでに32〜40年使用されている。東海第2は78年運転開始で福島第1の4〜6号機と変わらないが、福島第2は82〜87年、女川は84〜02年の運転開始で、福島第1より1世代以上若い。ごく単純に考えても、建設時期が古い福島第1原発は津波に対する防御対策が甘かったと判断できる。福島第1原発を襲った津波の高さは14m、これに対し女川原発のある宮城県女川町は17.6mの津波が襲って町は壊滅的被害を受け、1200人以上の死者・行方不明が出た*2のに、原発は安全に停止し、多くの住民が原発敷地に避難した。
 三陸沖では過去何度も巨大地震が発生*3して20mを超す津波に襲われており、平安時代の869(貞観11)年にはM8.6と言われる貞観地震が発生、大津波により岩手県沖から茨城県沖までに被害が及んだことが津波堆積物調査で判明しており、今回の東日本大震災との類似性が指摘されている。日経新聞によると、09年6月の原子力安全・保安院の会議で地震学者の岡村行信氏が、貞観地震の津波で城が壊れたと日本三大実記に記録されていることや堆積物調査結果を挙げて、40年前建設時のままの福島第1の防潮堤では危ないと指摘した。しかし、東電の関係者はこの指摘をまともに取り上げなかった*4のである。



*1 気象庁が「東北地方・太平洋沖地震」と命名した3月11日の震災は、「東日本大震災」という呼び名で最終的に統一される見通しになってきた。当初「東日本巨大地震」としていた読売新聞、「東北関東大震災」としていたNHKも「東日本大震災」を使うようになり、マスコミ各社の足並みがそろった。
*2 ちなみに、福島第1原発のある福島県双葉、大熊両町の死者・行方不明は4月11日現在で計54人である。
*3 17世紀以後に限っても、1611年、1793年、1896年にM8を超える巨大地震が発生大津波に襲われている。
*4 地震調査研究本部のHPには「福島県沖の地震は、1938年の福島県東方沖地震(M7.5)などが知られているが、M8を越えるような巨大地震は知られていない。1938年の福島県東方沖地震は塩屋崎の東方で発生し、県内の広い範囲で震度5が観測され、小名浜の検潮所では107cmの津波が観測されたが津波被害はなかった」と記されている。東電は09年の岡村氏の指摘に対し、「耐震設計で考慮する地震は福島の場合、1938年の地震で代表できる」と反論していた。どちらが正しかったかは今になってみれば明白だ。「想定外」ではなく東電関係者が想定しようとしなかったのである。


<back>
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談

 大橋建一へのご意見等は、こちらから。  E-Mail : info@ken-ohashi.jp