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国道42号線
 東京から青森まで主に海岸線を走る国道6号(東京―仙台)と45号(仙台―青森)両線は今回の東日本大震災による大津波の被害を受け、岩手、宮城、福島、茨城の4県で一時通行不能になった。最近ようやく復旧したが、被害の大きかった宮城県石巻市、登米市、気仙沼市と岩手県陸前高田市、釜石市ではいまだに通行止め区間があり、復旧めどは立っていない。津波の恐ろしさと海岸線を通る道路のもろさを痛感させられる出来事だった。
 ところで、和歌山県には主に紀伊半島の海岸線を通る国道42号線がある。この道は名古屋と伊勢を結ぶ国道23号線と併せて、紀伊半島一周道路と認識されており、1993年までは23号線からの分岐点となる三重県松阪市が起点だった。しかし、今は起点が浜松市西区の篠原交差点になっている。和歌山県内の国道42号線の道路わきに1kmごとに「キロポスト」が立っているが、それには確かに「浜松から(まで)〜〜km」と記されている。
 実はこの国道、起点から約18km西の新居町大倉戸ICまでは国道1号線との重複区間で実体がない*1。この地で北北東に進む1号線と別れ、42号線は西南西へ渥美半島に入り、遠州灘沿いに島崎藤村の「椰子の実」で知られる西端の伊良湖岬まで続く。その先は伊勢湾である。では三重県へはどうつながるのか。伊良湖岬〜鳥羽間は「伊勢湾フェリー」の海上ルート約20kmが「国道」とされている*2のである。当分実現しそうにはないが、伊勢湾をまたぐ伊勢湾口道路という25kmの橋を掛ける計画が今も存在しているためだ。
 さて、鳥羽の港に「上陸」した42号線は一旦西へ進み、伊勢市の通町で国道23号線との重複区間となって松阪市の小津まで伊勢湾沿いに北上、そこで前からの42号線につながる。松阪から紀伊長島(三重県紀北町)までは山中縦断だが、あとは浜松市の起点から和歌山市の終点まで約470km*4の大半が海岸沿いのルートである。渥美半島域は東海地震、紀伊半島域は東南海・南海地震*5が発生すれば、確実に津波によって寸断される道だ。
 住民のセーフティーネットとして、少し山沿いに紀伊半島を一周する高規格道路が必要なのだが、阪和自動車道は和歌山県田辺市の南紀田辺インターまでしか開通しておらず、三重県側の紀勢自動車道も、開通区間は伊勢自動車道の勢和多気ジャンクションから紀伊長島インターまでである。南紀田辺〜紀伊長島間(約160km)は最も津波の危険が大きい地域だが、那智勝浦〜新宮間8.9kmと、尾鷲〜熊野市大泊間18.6kmが部分開通しているだけだ。那智勝浦〜新宮間の高規格道路は3年前に開通したが、たまたまその時期に道路予算の使い方がマスコミの批判の的になり、民主党の議員団が視察に来た。感想は「ぜいたくだ」だったが、津波の危険にさらされている過疎化地域の住民の「命綱」とも言うべき道路を建設することが無駄にしか見えない政治家に、地方の痛みが分かるとは思えない。



*1 42号線を走破した人のブログ「旅ナシズム」というホームページによると、浜松市の起点には42号線を示す標識などは何もないそうだ。
*2 こうした海上国道は他にも20以上あるそうだ。
*3 陸上部分だけの距離で、全国8位である。
*4 気象庁によると、2011年1月現在の時点で、東海地震が30年以内に発生する確率は87%、東南海地震が70%、そして南海地震は60%程度とされる。


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