I will support Ohashi For tomorrow.
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談



65歳
 2カ月近く前に、めでたく?65歳になった。世に言う「高齢者」の仲間入りである。1946年6月、戦後の混乱期に難産の末この世に生を受け、幼少時代は下里*1→東京→下里→和歌山と転々、一人っ子のせいだけでもあるまいが、団体生活に馴染みにくい子で、幼稚園を3度中退、小学校に入ってからも協調性を欠き、周りからは我がままとしか見えないような泣き虫だった。担任の先生はもちろん、クラスメートたちも苦労したはずだが、何とかまともな人間に育つことができたのは、温かい目で見てくれた師や友のおかげである。
 思い返せば、過去には何度となく「人生のターニングポイント」があった。和歌山大学附属中学から3年3学期に東京に転校、希望の都立戸山高校入学を果たしたのが自分で選んだ大きな転機だった。高校では同級生たちの学力レベルや知識・能力の余りの高さにショックを受ける失意の日々だったが、何とか這い上がり、「奇跡的」にストレートで東大文Vに受かった。だが、大学時代は授業をさぼって喫茶店に入り浸り、”天性”の外国語センスのなさも響いて駒場で留年、やっと本郷の文学部国史課程に入ったころには紛争勃発でバリケード封鎖が始まり、学業と縁遠いまま通算6年余も大学生活を送ってしまった。
 その間、一人暮らしの寂しさからか、毎年のように片思いと失恋を繰り返していた私が、ついに「運命の人」(妻のことである)と出会ったのが69年6月で、これが最大の分岐点だったかもしれない。卒業のめども立たない自堕落な生活から、一応授業にも出て卒論も書き始め、翌年には親の渋々の許しを得て結婚、就職活動も始めたのだから妻の力は大きい。こんな私を信じてついてきてくれた彼女にはいくら感謝しても感謝しきれない気持ちだ。
 新聞社に入ってからも何度か転機があった。父が急死した後、国会議員を目指す気はないかと打診され、生意気にも「私は新聞記者として父を超える仕事をしたい」と言って断ったこと。その後も自民党や河野洋平さんの新自由クラブからも衆院選出馬を誘われたことがあった。まだ30代半ばで、記者としてやりたいことがあったので断ってしまったが、結局56歳で政治の道に踏み込むことになってみると、若いころの選択が正しかったのかどうか。当時は「男は一回勝負するんだ」という気概に欠けていたとも言えるかもしれない。
 ところで、65歳になると、多くの公共施設に無料で入場できる特典もあるが、誕生日が過ぎた途端に和歌山市長大橋建一名で介護保険料の納付書が送られてきたのには驚いた。聞けば、65歳までは健康保険料に介護保険料も含まれていたが、65歳からは年金天引きか納付書で被保険者が介護保険料を直接払わねばならなくなる*2。しかも、これまでは保険料の半額が事業者負担だったのが、高齢者になると全額*3が被保険者負担になる。私の立場で言うのも変だが、何だか「振り込め詐欺」の被害に遭っているような気がしてきた。



*1 現在の那智勝浦町下里。当時は東牟婁郡下里町で、母の実家があった。転々とした理由についてはこのHPの自分史に書いた。
*2 一般的には65歳で年金生活に入る人が多いが、その年金から普通は介護保険料が天引きされる。6月生まれの私の場合、切り替え手続きにタイムラグがあって、納付書が届くことになったようだ。
*3 私の場合、これまで払っていた健康保険料のうち月5000円弱が介護保険分だったが、これからは月々の介護保険料が約10000円になる。収入によって保険料は異なるが、最も安い人でも月2500円ぐらいの負担となる。今はそこそこ妥当な保険料かもしれないが、今後高齢化が進み、要介護者が増えれば、当然保険料も上がる。いずれ払えない額になってしまうのは目に見えている。税と社会保障の一体的、抜本的改革が必要な大きな理由の一つがここにある。とはいえ、支払う立場になれば何か騙されているような気がするのも不思議ではないでしょう?


<back>
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談

 大橋建一へのご意見等は、こちらから。  E-Mail : info@ken-ohashi.jp