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郡山の子どもたち
*1 郡山市は福島県中通り南部の交通の要衝にある都市。2010年国勢調査人口は県第2位の338,772人(1位は同じ中核市のいわき市=342,198人。県庁所在地の福島市は3位で292,280人)である。今年和歌山市で開かれる中核市サミットは昨年郡山市で開催され、私も郡山市にお世話になった。なお、中核市は人口30万人以上で政令指定都市でない和歌山市、郡山市、いわき市など41市が指定されている。 *2 一般的には、3月15日に発生した福島第1原発の水素爆発で放出された大量の放射性物質が最初西方向に、次いで北西に流れ、飯舘村を経て福島市上空に達し、夕方の降雨で放射性物質が地上に落ちた結果、福島市は原発から60km以上離れているにもかかわらず放射線値が高いと説明されている(日本原子力研究開発機構などの見解)が、これだと、原発からほぼ真西の郡山市が福島市とほぼ同様の高い放射線値を示し続けていることの説明としては弱いように思える(最初西に流れた時に郡山を襲ったという解釈は成り立つかもしれない)。一方、「勤務医最前線から」というブログの原発事故関連記述(3月22日)によると、福島県各地の放射線量増加の時間的変化を見ると、まず原発から最も遠い中通りの南端にある白河市で上昇が始まり、次いで郡山、福島の数値が上がっている。郡山市、福島市と原発の間には阿武隈山系(1000m級)があって原発から両市に放射性物質が直接飛来するのを阻んだため、放射性ダストは南に迂回し、まず白河市に入った。白河市は標高が370mと高く、そこから北へ郡山(同243m)福島(同70m)と下って行ったらしい。福島市は北側も山にせき止められているため、ダストが滞留し、中通りでは最も高い数値(9月12日で0.99マイクロシーベルト=μSv)となり、郡山市も北隣の本宮市付近で盆地が狭くなっているためダストが滞留しやすく、数値が高くなった(9月12日で0.88でμSv)とみられる(福島県の正常値は0.02〜0.06μSv)と記されている。素人考えでは、この方が説得力があるように思える。多分両方の要素が重なって福島市と郡山市の高い数値に表れたのではないか。 *3 福島県は震災と原発事故の関係で4月1日付の教員異動を延期、8月1日付で実施した。このため、福島の小学校教員に協力を求めることは当初から困難と分かっており、今回のきぼうプロジェクトは、バスを和歌山で仕立てて、和歌山市から引率者2人を乗せて郡山市まで迎えに行かせ、子どもたちだけを和歌山市まで連れてくる計画で進めていた。従ってバスが3台となると、それぞれに複数の引率者が必要で、予定の3倍の引率者が必要となった。 *4 門を開けてもらいたかったら、まず扉を叩いてみなさいという新約聖書の「マタイによる福音書」に出てくるイエス・キリストの言葉である。 *5 当初予定していた有田鉄道バスでは2台しか確保できなかったため、同社の協力を得て他社から1台を調達した。 *6 参加者は最終的には97人となった。バスの中でも引率者がゲームやお話で盛り上げ、長かったけれど楽しい時間が過ごせたようだ。引率者は7月31日に和歌山を出発し、1日に郡山からトンボ返りした。帰りも5日に和歌山を出発し、翌日戻ってくる強行軍だった。 *7 「よさこい」の演舞、マジックや腹話術、けん玉名人の実演などボランティアの皆さんは、様々な工夫で子どもたちを楽しませてくれた。感謝感謝である。 *8 一部省略したが、基本的に原文のままである。 | ||||||
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