I will support Ohashi For tomorrow.
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談



郡山の子どもたち
 少し前の話で恐縮だが、8月1日から5日間、福島県郡山市の小学生に和歌山を体験してもらう「きぼうプロジェクト」を市内で開催した。郡山市は和歌山市と人口規模がほぼ同じ中核市*1で、東電の福島第1原発から62kmほど離れているが、地形など様々な悪条件が重なって*2放射線量が高く、子どもたちは「外遊び」ができない状況が続いていた。
 和歌山市教育委員会は、原発事故のため外出も難しい福島県の子どもたちを夏休みに和歌山に招き、短期間でも外遊びしてもらうことを考え、バス1台定員40人という計画で何市かに打診、名乗りを上げてくれた郡山市の児童を募集したところ、100人近い応募があった。それほど、子どもたちに外遊びをさせてやりたいと願う保護者が多かったわけだ。
 市教委は抽選で40人に絞らざるを得ないと判断し、私に報告に来た。しかし、せっかく大勢の児童が和歌山での夏休みを楽しみにしているのに、半分以上断っては和歌山の印象をかえって悪くすると思い、私は「何とかしてやれよ」と担当者に抽選回避を求めた。
 バスを増やし、往復の引率者を3倍確保しなければならない*3。市内各地でのイベントを手伝ってもらうボランティアも予定の人数では足りなくなる。「無茶な」と担当者は思ったようだが、「叩けよ、さらば開かれん*4」である。交渉でバス3台*5のメドがつき、宿舎に予定していた「紀三井寺ガーデンホテルはやし」が「100人でも受け入れますよ」と言ってくれたことで道が開けた。引率者やイベントボランティアは、市内の大学生や教員・教委関係者、ボーイスカウトや様々なボランティア団体の協力で必要人数を確保できた。
 郡山から11時間以上の長旅で和歌山に着いた子どもたち*6は、紀三井寺やマリーナシティの遊園地で思い切り遊び、和歌山城に登り、たま電車で、たま駅長にも会いに行った。郡山市は内陸部なので、海に入ったことのない子が1/3ぐらいいたが、加太海岸で予定時間を大幅に超えて海水浴場を楽しみ、少年自然の家で飯盒炊さんなども体験できた*7。すべては多くのボランティアの方々のおかげだ。5日間の外遊びを満喫した子たちや、その保護者から後日多数の礼状が寄せられた。読んで涙が出てきたその一つを紹介したい*8。
 「引っ込み思案の娘が、帰ってきた日おしゃべりが止まりませんでした。どれほど楽しかったのか話しぶりと表情でわかりました。和歌山はとてもいい所、そして皆いい人だったと言っておりました。ボランティアの方が福島の子供達の洗濯物を家に持ち帰って洗ってくれたと聞いた時には涙がこぼれました。『放射能うつる』『福島来るな』と言われることも多かった福島県民にとってどれほどうれしいことだったか!他県の疎開プロジェクトにことごとく外れた娘。和歌山の皆様は40名定員のところ、申し込んだ全ての子を受け入れてくださいました。ご恩は決して忘れません。本当に本当にありがとうございました」
            ×        ×        ×
 台風12号による9月初頭の集中豪雨のため、和歌山県はじめ紀伊半島南部は甚大な被害を受け、県内だけで60人近い死者・行方不明者を出した。被災された皆さんを心からお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。和歌山市は奇跡的に被害をほとんど受けなかったが、私あてに郡山市長、西宮市長はじめ県外の多くの皆さまから見舞いの電話やメールをいただいたことに感謝申し上げます。



*1 郡山市は福島県中通り南部の交通の要衝にある都市。2010年国勢調査人口は県第2位の338,772人(1位は同じ中核市のいわき市=342,198人。県庁所在地の福島市は3位で292,280人)である。今年和歌山市で開かれる中核市サミットは昨年郡山市で開催され、私も郡山市にお世話になった。なお、中核市は人口30万人以上で政令指定都市でない和歌山市、郡山市、いわき市など41市が指定されている。
*2 一般的には、3月15日に発生した福島第1原発の水素爆発で放出された大量の放射性物質が最初西方向に、次いで北西に流れ、飯舘村を経て福島市上空に達し、夕方の降雨で放射性物質が地上に落ちた結果、福島市は原発から60km以上離れているにもかかわらず放射線値が高いと説明されている(日本原子力研究開発機構などの見解)が、これだと、原発からほぼ真西の郡山市が福島市とほぼ同様の高い放射線値を示し続けていることの説明としては弱いように思える(最初西に流れた時に郡山を襲ったという解釈は成り立つかもしれない)。一方、「勤務医最前線から」というブログの原発事故関連記述(3月22日)によると、福島県各地の放射線量増加の時間的変化を見ると、まず原発から最も遠い中通りの南端にある白河市で上昇が始まり、次いで郡山、福島の数値が上がっている。郡山市、福島市と原発の間には阿武隈山系(1000m級)があって原発から両市に放射性物質が直接飛来するのを阻んだため、放射性ダストは南に迂回し、まず白河市に入った。白河市は標高が370mと高く、そこから北へ郡山(同243m)福島(同70m)と下って行ったらしい。福島市は北側も山にせき止められているため、ダストが滞留し、中通りでは最も高い数値(9月12日で0.99マイクロシーベルト=μSv)となり、郡山市も北隣の本宮市付近で盆地が狭くなっているためダストが滞留しやすく、数値が高くなった(9月12日で0.88でμSv)とみられる(福島県の正常値は0.02〜0.06μSv)と記されている。素人考えでは、この方が説得力があるように思える。多分両方の要素が重なって福島市と郡山市の高い数値に表れたのではないか。
*3 福島県は震災と原発事故の関係で4月1日付の教員異動を延期、8月1日付で実施した。このため、福島の小学校教員に協力を求めることは当初から困難と分かっており、今回のきぼうプロジェクトは、バスを和歌山で仕立てて、和歌山市から引率者2人を乗せて郡山市まで迎えに行かせ、子どもたちだけを和歌山市まで連れてくる計画で進めていた。従ってバスが3台となると、それぞれに複数の引率者が必要で、予定の3倍の引率者が必要となった。
*4 門を開けてもらいたかったら、まず扉を叩いてみなさいという新約聖書の「マタイによる福音書」に出てくるイエス・キリストの言葉である。
*5 当初予定していた有田鉄道バスでは2台しか確保できなかったため、同社の協力を得て他社から1台を調達した。
*6 参加者は最終的には97人となった。バスの中でも引率者がゲームやお話で盛り上げ、長かったけれど楽しい時間が過ごせたようだ。引率者は7月31日に和歌山を出発し、1日に郡山からトンボ返りした。帰りも5日に和歌山を出発し、翌日戻ってくる強行軍だった。
*7 「よさこい」の演舞、マジックや腹話術、けん玉名人の実演などボランティアの皆さんは、様々な工夫で子どもたちを楽しませてくれた。感謝感謝である。
*8 一部省略したが、基本的に原文のままである。


*2に記した「勤務医最前線から」というブログの原発事故関連記述(3月22日)についていた福島県の地形図(原図はGoogle)。地形との関係で、図内の矢印方向に放射性物質が流れた後に北上したと推測している


<back>
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談

 大橋建一へのご意見等は、こちらから。  E-Mail : info@ken-ohashi.jp