I will support Ohashi For tomorrow.
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談



ひとりっ子
 小さいころから何度も、「ご兄弟は?」と聞かれた記憶がある。そのたびに「一人っ子です」というのが何となく恥ずかしかった。実は私の娘も一人っ子なので、合計特殊出生率の低下に早くから「貢献」し、少子化時代を先取りしている典型的な先細り家系である。
 特に私の生まれた1946(昭和21)年は、戦時中の「産めよ増やせよ」国策の影響か、周りに4人兄弟、5人兄弟がざらにいた。「一人っ子です」と言うと、「それはお寂しいですね」と言われるのが普通だった。私自身は兄弟体験がないので返答に困った記憶がある。
 ただ、家庭で兄弟が食べ物やおもちゃを取り合って争うという経験がなかったため、社会生活への順応が難しかった。小学生時代はまだ昭和30年代初めで、世の中は貧しく、テレビのある家などほとんどなくて、どの家庭も極めてつましい生活を送っていたころだ。
 温州ミカンが出回る季節になると、必ず思い出す小学校時代の苦い出来事がある。ある時、近所の友だちの家に招かれ、同級生が5人集まったことがあった。コタツで絵本などを見ながら遊んでいたようなあいまいな記憶しかないが、遊んでいる私たち5人のところに、その家のお母さんがみかんを2つ持ってきてくれたのだけははっきり覚えている。
 というのは、私は普段の癖というか、ごく当たり前にそのみかんの一つを取って一人で食べてしまったのだ。ハッと気づいて周りを見ると、残った一つのみかんを4人が4等分してひと袋ずつ大事そうに食べていた。「しまった」と思ったけれどもう手遅れで、とても恥ずかしい思いをした。そのころすでに学校などで「一人っ子で甘やかされている」と陰口を言われることがあり、それを知って腹を立てたり泣いたりしたことがあったが、言われる理由が分かった気がして反省したことと、その時のみかんが結びついているからだ。
 ところで、中国は80年代以後、人口増を抑えるため一人っ子政策を続けているが、一定の効果があったとはいえ、30年に及ぶこの政策がもたらしたひずみもいくつか表れてきたようだ。たとえば、子どもが両親とその両親の6人にちやほやされて育つため、自分では何もできない「小皇帝」と揶揄される子になる例が少なくないこと、抜け道があって罰金さえ払えば何人子を作ってもいいため、金持ちはどんどん子を作り、子宝にまで「貧富の差」が生じてきたこと、農村などではどうしても男手が欲しくて、妊娠中に性別を見極め、女の子なら堕胎することが多く、結果的に男女数のアンバランスが生じて、結婚適齢期になっても相手が見つからない男性が増え、問題となっていることを何かの本で読んだ。
 日本も、一人っ子が珍しくない少子化時代なので、今の保育所や幼稚園は、兄弟による社会生活経験がない子が多い。その子らに社会のルールを教え込むのは大変なことで、そんな子を何十人も面倒見なければならない立場の今の保育士さんらの苦労をお察しする。





<back>
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談

 大橋建一へのご意見等は、こちらから。  E-Mail : info@ken-ohashi.jp