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つらい葬儀
 葬儀に参列することが多いが、そのたびに、ご遺族の気持ちを考えて、とても悲しい気持ちになる。特に、不慮の死を迎えた方、病に倒れ、早世された方の式でご両親や配偶者を見るのは非常につらい。和歌山県那智勝浦町の寺本真一町長の昌子夫人と長女早希さんは9月4日未明、紀伊半島南部に大きな惨禍をもたらした台風12号に被災して亡くなったが、1ヵ月たった10月3日の月曜日、2人の葬儀がようやく行われることになったので、私も出かけた。すべての参列者が胸の張り裂ける思いだったに違いない切ない葬儀だった。
 これまでの報道を総合すると、雨の勢いが激しくなる一方の9月3日(土)の朝、寺本町長は翌日に結納を控えた早希さんと昌子夫人を自宅に残して出勤、台風被害の警戒と情報収拾に当たっていた。過去の経験からは町南部の太田川上流域が最も被害を受けやすいと考えられていたので、町の警戒態勢は太田川に重点が置かれ、那智の滝を源流とする那智川流域はほぼノーマークだったようだ。だが実際には3日深夜になって那智川が見る見るうちに増水して、水と土石流が那智川流域の市野々地区、井関地区などを直撃した。
 寺本町長の携帯電話に昌子夫人から連絡が入ったのは午前2時ごろ。「早希が流されたみたいだ」という内容だったという。その場面を想像するだけで体が震えてしまう。パニック状態だったと思われる昌子夫人の言っていることを、とっさに寺本町長が理解できたかどうか。理解したとしても、頭が真っ白になってどうしていいかわからなかっただろう。
 その後についての報道はまちまちである。電話が切れてしまったとも、町長が今は帰れないと言ったとも、奥さんに家にいるように言ったとも伝えられたが、真相は分からない。電話の直後に町長の家は流されてしまい、早希さんは4日朝、そして昌子夫人は9日後の13日に遺体で発見された。自分の家族がそんな状態になったら、と思うと言葉がない。
 8日の土曜日夜、妻と那智勝浦町に行って泊り、翌朝、復旧したばかりの県道*1を登り、那智大社に参拝した。途中、那智川流域を視察し、下里に戻って母方の墓に参り*2、新宮から三重県御浜町経由*3で北山川沿いの新宮市熊野川町に入り、国道311号で田辺市本宮町、中辺路町を通過、上富田から国道42号、阪和自動車道経由で7時間かけて帰宅した。
 寺本町長の家があった那智川流域の井関地区は、視察した多くの方が言っていた通り、東北の津波被災地と同じように、家が影も形もなくなり、原形をとどめていても、1階部分が骨組みだけになっていた。あちこちに壊れた車が放置されているのも同じで、まさに「山津波」という言葉通りだ。北山川、熊野川沿いも、あの広い河原から水があふれ、高い堤防を越えて、さらに上にあった家を襲ったとは想像できないが、現実に起きたことに水の恐ろしさを改めて感じた。我々は水の神を怒らせるようなことをしたのだろうか。



*1 熊野那智大社と西国三十三ヵ所一番札所の青岸渡寺、そして那智の滝への県道は、突貫工事ですでに復旧している。ただ、途中の井関、市野々両地区は壊れた家や瓦礫などで、復旧には程遠い状況である。
*2 母方の墓のある那智勝浦町下里の高芝地区は太田側に近かったが、被害はほとんどなく、墓も無事だった。
*3 国道168号の新宮市と田辺市本宮町間は10月14日に復旧の予定である。田辺市中辺路町の栗栖川周辺は10月初めに復旧し、田辺市中心部と本宮町がようやくつながった。


10月9日に視察した那智川下流のJR紀勢本線鉄橋は橋げたが半分なくなり、線路が途中で切れ、ひんまがった状態のままだったが、多くの人たちが休日返上で復旧工事に当たっていた(手前の砂地のようなところに線路の跡がくっきり残っている)


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