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ようこそ和歌山市へ
 4月7〜8両日、東京都立戸山高校時代の同期生16人*1が、「学年会」ということで和歌山市を訪れてくれた。昨年1月末にも、大学時代の友人たちと年に1度開いている交流会を和歌山市でやってもらっており、その時は夫婦連れの方も含め総勢19人が和歌山市に来てくれた。東京方面には和歌山市に行ったことがない人が多く、このまちの良さを知ってもらうには、まず一度足を踏み入れてもらうことが必要だと痛感しているので、知り合いを頼っての、いわば「個人営業」の和歌山市への観光誘客作戦を展開しているわけである。
 さて、戸山高校の皆さんは6日に京都に立ち寄り、同期で京都を中心に歌手活動をしている野田淳子さんの案内で御所や醍醐寺を見学した後、祇園花見小路にある野田夫妻*2行きつけの店で夕食を取り、多くの方は京都で1泊した。私もその日午後京都に出かけ、皆さんと一緒に食事をしてから、和歌山で宿泊する人たちと一緒に電車で和歌山に戻った。
 7日の和歌山市は桜満開、まさに絶妙の“同窓会日和”となった。昼過ぎに到着した「本隊」とともに、まず和歌山ラーメンで昼食、市役所に案内し、市長室で記念写真を取った後、花見客でごった返す和歌山城公園を散策した。前日から和歌山入りしたグループは午前中、伊太祁曽神社に参詣、レンタサイクルで矢田峠を越え、旧中筋家住宅*3を見学した。
 夜は「がんこ六三園*4」で近況を報告する夕食会。普通の会合なら直ちに乾杯となるところだが、真面目な勉強家の多い「同期の桜」だけに、高校卒業から47年を経て65歳を過ぎても学習意欲旺盛で、あらかじめ「和歌山市政について何か講演を」と要請があった。
 私としても市政についての数々の苦労話や、今の日本の状況についての思いを気楽にしゃべれる機会はあまりないので、和歌山市や紀州全体についての宣伝も含めしゃべらせていただくのは有り難いと考えてパワーポイントを用意し、「ようこそ和歌山市へ――いま地方都市は苦闘中」という題名で1時間ほど話を*5させてもらった。終了後も次々に熱心な質問が飛び、食事はさらに30分ほどお預け、「カンパーイ」は19時ごろとなった*6。
 翌日も好天に恵まれ、一行は二手に分かれて「多数派」が紀三井寺と和歌浦周辺を散策、「少数派」はJRで湯浅まで足を伸ばし、広川町の「稲むらの火の館」など、東京ではまだほとんど知られていない津波防災の先覚者・濱口梧陵関係の史跡を歩いた*7。私は朝公務があり、「紀三井寺組」に遅れて合流したが、皆さん健脚ぞろいと見えて、231段の石段もあまり苦にせず、参詣後は「はやし」で土産物をたくさん購入して喫茶で一服させていただいたものの、後はまた旭橋の西詰「サン・リヴェール」まで歩き昼食。私はここで別れた*8が、9人は昼食後さらに玉津嶋神社まで歩いたそうだ。元気いっぱいの同期生から「和歌山は良かった」というお礼のメールが届き、お世辞かもしれないが勇気百倍の私である。



*1 同級生の1人が母(87)連れで来てくれたので、参加者数は私も含めると18人である。
*2 野田淳子さんとご主人の中島光一さんについては、このHPの「大きなうた」で触れている。9年半前に書いたままで、テンスが違っていることをご了承いただきたい。なお、軽自動車の暴走で運転者を含め8人が亡くなった祇園大和小路は、夕食会場だった祇園花見小路の一つ西側の信号のある道で、同期生たちが昼間散策した場所だったといい、通った人たちはショックを受けている。
*3 旧中筋家住宅は和歌山市禰宜にある江戸末期の大庄屋の屋敷で、オフィスを兼ねていた。安政南海地震の2年前、1852年に建造され、1974年に国の重要文化財に指定された。市民の方が所有しているが、和歌山市が管理することになり、2000年に保存のための大修理を開始、約10年かけて竣工し、2010年から一般公開されるようになった。レンタサイクルを置いている和歌山電鐡貴志川線の伊太祁曽駅からは約5kmの峠道で、よくあの坂が登り降りできたと「65歳パワー」に感心する。
*4 がんこ六三園については2010年10月19日の余談独談に書いた。
*5 話の内容は、市の観光スポットや市内と県全域の特産品紹介、市の財政状況と財政健全化のための努力、人口減少が続く背景に東京一極集中の問題があること、一極集中が防災面やインフラ整備、マスコミの報道姿勢などに悪影響を及ぼし、日本全体のバランスのとれた発展を妨げていること、この状況に歯止めをかけるためにも、住民に最も近い市町村という基礎自治体に可能な限り権限を移す地方分権改革が必要なことなどである。
*6 食事をしながらの近況報告が2時間ほど続き、一行が「がんこ」のバスでホテルに戻ったのは21時半ごろだった。
*7 旧暦安政元年12月23〜24日(1854年11月4〜5日)に起きた安政倒壊・南海地震とその復旧復興に尽くした濱口梧陵については、2005年3月29日の余談独談「巨大地震」で触れている。東日本大震災以来、在京の同期生たちは地震津波災害に敏感になっていると考え、市外の施設だが、「稲むらの火の館」や「広村堤防」を見学するコースを推薦したら、5人が参加してくれた。ちなみに、濱口梧陵の業績については、新指導要領で小学校の国語や社会の教科書に掲載されるようになり、安政南海地震の日である11月5日は、昨年制定された津波対策推進法で「津波防災の日」と決められた。
*8 私は公務があって玉津嶋神社には行けなかったが、公務終了後14時49分発の「くろしお」などで帰る皆さんをJR和歌山駅まで見送りに行った。「くろしお」には湯浅から戻る5人も乗っており、8日朝の見学をしないで帰途に就いた人を除き、一応全員に和歌山訪問のお礼をすることができた。


(上)4月7日、市長室を訪問した戸山高校40年卒の一行と雑談
(下)同日夜、夕食会場の「がんこ六三園」で記念撮影


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