福岡ソフトバンクホークスの小久保裕紀内野手(和歌山市出身*1)が6月24日の対日本ハム戦で2000本安打を達成した。40歳7ヵ月、出場1997試合目の快挙である。度重なる大けがなどトラブルに見舞われ、今シーズンも「あと1本」で腰痛のため登録抹消になるなど苦難続きだったが、1ヵ月余で復帰し、初戦で記録に到達した強い精神力に敬服する。 |
今季は既に北海道日本ハムファイターズの稲葉篤紀と、東京ヤクルトスワローズの宮本慎也が相次ぎ2000本安打を達成済みで、小久保は通算41人目の2000本達成者となる。1シーズンに3人以上2000本ヒッターが誕生したのは過去1985年と83年の2回だけ*2だ。 |
小久保は71年10月8日生まれ。和歌山市立砂山小学校、西和中学校、県立星林高校と野球を続け、89年青山学院大学に進学*3、東都大学野球で活躍し、92年バルセロナ五輪日本代表に大学生で唯一選出され、日本の銅メダル獲得に貢献する大活躍*4をした。93年には主将として青学を初の大学野球日本一に導き、ドラフト逆指名でホークスに入団した。 |
プロ19年間は波乱万丈で、王監督初年の95年に本塁打王、97年は打点王に輝いたが、98年は開幕から8週間出場できず、復帰後すぐ右肩に重傷を負う不運もあって、出場17試合に終わる。99年から02年までは右肩の後遺症と背筋痛や肉離れと闘いつつ99〜00年のリーグ連覇*5に貢献、00年から3年連続30本塁打超え*6を達成した。だが翌年のオープン戦で右ひざに重傷を負い*7、03年は出場ゼロ。オフに巨人へ無償トレードされた*8。 |
巨人での04年は、後半から4番を打ち、打率.314、本塁打41本。その後も06年序盤戦まで主力打者として活躍*9したが、6月に骨折、シーズン終了後ホークス*10に戻った。 |
ホークス復帰後もけがとの戦いが続き、07年は8月に死球で骨折、08年は左手首の手術で開幕に間に合わず、9月に再び負傷してチームも最下位に終わった。09年は全試合出場したが、10〜11年は首・肩痛などで何度も戦線を離脱、そのたびにチーム成績が降下、復帰するとチームが元気になる現象が繰り返された。特に11年は開幕戦で死球骨折、8月初旬にまた死球骨折、9月半ばには首痛で抹消され、98試合出場、92安打に終わり、達成が期待されていた2000本安打は持ち越しになった*11。しかし、チームは小久保が出場していた間の“貯金”が物を云ってリーグ優勝。CSと日本シリーズでは復帰した小久保の大活躍で見事日本一に輝き、小久保は40歳1ヵ月でのシリーズ最年長MVPを獲得した。 |
小学校時代に砂山少年野球クラブで育った小久保は毎年オフに和歌山を訪れ、和歌山市内の少年野球各大会上位チームによる「小久保杯」大会を開催して小学生たちに自らコーチするなど、郷土の後輩を常に温かく見守ってくれているプロ中のプロである。19年間のプロ生活で首、ひざなど8度の手術を受けながらの偉業達成、おめでとう!ご苦労さま。 |
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