8月27日から2泊3日で韓国・済州島の済州市を訪問した。8月10日の李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領竹島上陸と、以後の一連の発言で日韓関係が急速に悪化している最中だったが、済州市と和歌山市は1987年11月に姉妹都市となり*1、今年が25周年、四半世紀の節目の年となる。7月末に金相五(キム・サンオ)済州市長と康才業(カン・チェオブ)済州市国際交流協議会会長らが和歌山市を訪れた際、記念式典と歓迎会を開催し「来月は済州で」と再会を約束しており、今回、予定通り訪問団を編成し、私と市議会議長代理の野嶋広子副議長ら4人の市議会議員、そして国際交流課の職員ら計10人が参加した*2。 |
8月初めまでは準備も順調に進んでいたが、李大統領竹島上陸に当然のことながら日本政府が強く反発し、駐韓国大使召還などで抗議の意思を示した。これに対し、李大統領は竹島問題とは無関係な、いわゆる慰安婦問題を持ち出したうえ、「天皇は韓国を訪問したがっているが、独立運動で亡くなった人々に心から謝罪すればいい(中略)。『痛惜の念』という言葉だけを使うためなら、韓国に来る必要はない」など、かつて大統領自身が天皇陛下訪韓*3を要請したことを忘れたかのような発言を行い、問題をエスカレートさせた。 |
ここに至って和歌山市でも、この時期の訪問は如何なものかという意見が出た。しかし私は、国同士の関係がこじれたこんな時こそ、地方や民間レベルの交流が大事であり、その扉まで閉じると、かえって関係悪化に拍車をかけると考え、予定通り訪問したのである。 |
出発前にNHKの取材があり、全国ニュースで私の訪問を報道した結果、全国各地から抗議メールなど30余通が届いた。尖閣諸島の問題と時期が重なり、領土問題に関する世論が沸騰していたタイミングの訪韓なので、様々な反響があるのは覚悟しており、ご意見ご批判は謙虚に受け止めたいが、メールの中には冷静さを欠いて私に悪罵を浴びせるだけのものや、韓国や韓国人への礼を失した言葉遣いのものがあったのがとても残念である。 |
さて、私の訪問は4度目だが、市長らの歓迎ぶりは従来以上に熱烈で、交流を大切にしたいという先方の思いがヒシヒシと伝わった。私は滞在中のあいさつで、この間、日韓両政府の間で様々な問題が生じているのは残念なことだが、両市の交流は両国間に残る未解決の問題など様々な困難を乗り越えて積み重ねられてきたもので、この友好関係を広げ、両市のみならず、日韓関係、ひいては世界平和に寄与できればと考えている旨を強調した。 |
この訪問に合わせるかのように中心気圧910hp、最大風速60mの超大型台風15号が済州島に接近、私たちが乗った27日午前の大韓航空機は飛んだが、以後は欠航となった。宿泊初日は猛烈な風で夜の外出は不可能となり、翌日の市内視察では各所で倒木やガラスの破損、信号機倒壊などが見られた*4。今回の訪問は最後まで「嵐の中」の訪問であった。 |
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