明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談 / 志談 市談 私談

市民が主役



余談独談




丸谷才一さん

 亡くなったばかりの方を敬称略で表記するのは大変失礼な感じがするので、丸谷才一さん*1は今回「さんづけ」とさせていただく。ただし、他は敬称略でお許しいただきたい。
 丸谷さんは毎日新聞書評委員会の事実上のトップとして長く活躍された。直接お話ししたことはないが、丸谷さんが中心になって毎日新聞の書評面を大刷新し、現在の「今週の本棚」を1992年に立ち上げた時、そのレイアウトづくりに私も少しだけだが関与したこともあり、パーティーなどで何度か丸谷さんのあいさつを聞いたことがある。ベストセラーとなった「挨拶はむづかしい」など、あいさつに関する著書が多数*2ある人だけに、そのスピーチは見事で、いつも決して長々とではなく簡潔に、肩の凝らない楽しい話をされた。しかしその内容は、実は毎回練りに練ったもので、必ず自分で原稿を作っていたという。
 エラそうなことを書いた後で恥ずかしいが、実はそのころまで私は丸谷さんについての知識はほとんどなく、「挨拶はむづかしい」も読んだことはなかった。しかし、新聞社の女性論説委員を主人公にした小説「女ざかり*3」が吉永小百合主演で94年に映画化され、毎日新聞東京本社でロケが行われたので、「エキストラで同僚も出ている」のに興味があって映画館に行き、そのあと小説も読んだことから、ようやく丸谷作品と縁ができたのである。
 私は、大学で日本史を専攻したものの、紛争真っ盛りの時代の学生生活で、授業をほとんど受けていないし、歴史と言っても関心は政治史に傾いていたので、江戸時代の文化にはまるで弱く、歌舞伎、能狂言、俳諧、文学、美術どれも知識がほぼゼロだった。ある時丸谷さんの「忠臣蔵とは何か」を読んで初めて歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の詳しい内容と背景を知ったというお粗末な私が言うのはおこがましいが、「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎が「怨霊鎮めのためのカーニバルとしての討ち入り」という考え方で作られたという説に感服したのを覚えている*4。それ以後、私は丸谷さんの本を数多く読むようになった。
 日本語を愛し、歴史的仮名遣いを一貫して使用した丸谷さんだが、その文章は軽妙洒脱で分かりやすい。特にエッセーは文体も変幻自在で、ユーモアにあふれ、話があちこちに飛びつつ、見事に収束する。あちこちに飛ぶ余談の部分に丸谷さんの博識ぶりが披歴され、短いエッセーの一つ一つが読む者に新しい知識を与えてくれる。なるほど文章というものはこう書くのかと、いつも感心させられ、1冊読み終えるとまた次が読みたくなった。
 私が好きだった「テロリストのパラソル」の藤原伊織*5や「影武者徳川家康」の隆慶一郎*6が亡くなった時、「もうこの人の作品は読めないのか」という寂寥感に襲われたが、丸谷さんの場合は小説も随筆・評論*7も未読が山ほどあり、当分読み続けられるのは私にとって救いだが、素晴らしい文才がもうおられないと思うと、誠に残念である。合掌。
 
*1 丸谷才一さんは1925(大正14)年8月27日、山形県鶴岡に生まれた。東大文学部英文科時代に映文学のジェイムズ・ジョイスに傾倒、大学院を経て高校の英語教師、大学の講師・助教授を務めた。翻訳活動から、1960年代以降作家としても頭角を現し、67年『笹まくら』で河出文化賞、68年『年の残り』で芥川賞、72年『たった一人の反乱』で谷崎潤一郎賞、73年には評論『後鳥羽院』で読売文学賞、85年「忠臣蔵とは何か」で野間文芸賞、88年『樹影譚』で川端康成文学賞、2000年には前年完結した評論『新々百人一首』で大佛次郎賞、03年『輝く日の宮』でいずみ鏡花文化賞、このほか03、04年に朝日賞を受賞06年に文化功労者となり、11年に文化勲章を叙勲された。ことし10月13日に死去、87歳だった。
*2 「挨拶はむづかしい」は1985年朝日新聞社刊。ほかに「挨拶はたいへんだ」(2001年朝日新聞社)、「あいさつは一仕事」(2010年朝日新聞出版)がある。
*3 「女ざかり」は1993年文芸春秋社刊。新聞社の内情などが軽いタッチで描かれ、ベストセラーとなり、大林宣彦監督で映画化された。
*4 「忠臣蔵とは何か」は1984年講談社刊。四十七士の意識の中に曽我兄弟の仇討ち物語があり、権力(曽我兄弟の場合は源頼朝、赤穂浪士の場合は徳川綱吉)の不公平な裁きへの抗議の意味を込めて討ち入りが行われたことを述べる一方、赤穂浪士自身が討ち入りを怨霊鎮めのカーニバルと意識していたという論旨だったように記憶している。この「浪士自身が怨霊鎮めのカーニバルと意識していた」という主張に各方面から反論があり、国文学者の諏訪春夫氏との間で「忠臣蔵論争」が繰り広げられた。ただ、仮名手本忠臣蔵という歌舞伎は確かに怨霊鎮めのカーニバルとして討ち入りを扱っているように思える。
*5 藤原伊織(1948〜2007)については07年7月23日の余談独談「漫画喫茶『レオ』」で書いた。「テロリストのパラソル」のほか「ダックスフントのワープ」「ひまわりの祝祭」「雪が降る」「てのひらの闇」「蚊トンボ白髭の冒険」「シリウスの道」「ダナエ」「遊戯」「名残り火 てのひらの闇U」しか発表されていない寡作の人だった。
*6 隆慶一郎(1923〜89)は本名池田一朗。脚本家としてスタートし、「陽のあたる坂道」「にあんちゃん」などのシナリオを手掛けた。亡くなる5年前の84年から時代小説を書き始め、「影武者徳川家康」をはじめ「吉原御免状」「一夢庵風流記」「捨て童子・松平忠輝」「花と火の帝」など14冊を出した。私は時代小説はあまり読まない方だが、どれも面白くて、あっという間に読み尽くしてしまった。
*7 最近読んだものでは、鹿島茂、三浦雅士との鼎談「文学全集を立ち上げる」(文春文庫)に驚かされた。国内外の文学を300巻の全集に収めるために古今東西の文学を3人が論じ合うという内容で、ほとんどが私の読んだことのない本の話だった。日本を代表する文芸評論家3人だから当然といえば当然だが、中でもリーダーは当然丸谷さんで、その読書量と知識、それにまつわる話の多彩さに圧倒された。




<back>

 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談 / 志談 市談 私談

 大橋建一へのご意見等は、こちらから。  E-Mail : info@ken-ohashi.jp url