明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役



余談独談




またまたオセロ

 今年最後のコラムである。やっぱりあの衆院総選挙のことを書かなければなるまい*1。
 野田前首相が乾坤一擲の大勝負に出た形の解散総選挙だったが、結果は悲惨なものだった。落選した8人の閣僚が総理に対して恨み節を言っていたが、難破船から逃げ出すネズミのように毎日毎日離党者が出る状態で、野田さんにすれば、あの時解散しなければ野垂れ死にの可能性もあった。追い込まれての、いわば「破れかぶれ」の決断だったのだろう。
 何しろ、政権交代時に308もあった民主党の衆院議席が、解散時には過半数を7も下回る233まで減っていた。3年余の間に75人が党を出ていったわけで、元々組織らしいものもない風頼みの党が政権を取り、背伸びし過ぎて自滅したのだから、自業自得である。
 とはいえ、選挙結果が「民意」だとすれば、3年3ヵ月前の民意とは正反対の民意が現れたことになる。しかし、その民意は政策に対して示されたものではないようだ。今回選挙の争点と言われた原発と消費税については「自民」「民主」「公明」3党はほとんど同じことを言っているし、「維新」も大同小異なのに、民主だけが惨敗した。民自公と異なる主張の「未来」「みんな」「社民」「共産」のうち、議席を伸ばしたのは「みんな」だけだった。つまり、民主党政権に対する失望感が「民意」として表れたのであって、それは3年3ヵ月前に自公が敗北した時の総選挙と同じパターンの裏返しだったと言えるのではないか。
 小選挙区制導入時の触れ込みは「2大政党が政策で争い、民意の審判を受けることで、政権交代可能な政治をつくる」というものであった。確かに政権交代は行われたが、政策評価ではなく失点が判断基準なのである。昔の中選挙区制なら、変化ももう少しマイルドだったはずで、やはり小選挙区制は、日本人の精神と合ってないのではないだろうか。
 今回テレビを見ていると、多くのキャスターやコメンテーターが「オセロゲームみたいですね」と言っていたが、実は前回総選挙後に当コラム*2で以下のようなことを書いた。
 「今回の結果は、4年前とは正反対であり、オセロゲームで白石が一斉に裏返って黒石に変わるような民意の激変が起きたことを示している。(中略)陰の主役はマスコミである。今や新聞よりテレビのコメンテーターの影響力が圧倒的に強い。彼らの半分思い付きのような発言が世論をリードし、世論調査結果に数字として反映される。その数字が新聞も含めた報道全体に「民意」としてのしかかり、冷静さを欠いた世論迎合的報道が増幅する。民意がどうであろうと、報道機関として言うべきことを主張すべきなのに(以下略)」
 この時指摘したマスコミ、メディアの報道姿勢はこの3年余もほとんど変わっていないようだ。世論調査報道はますます増え、不必要に大きく報道される。キャスターやコメンテーターは調査結果によって臆面もなくコメントを変えて発信し、反省する気配もない。
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*1 地元和歌山1区は300票差というシビレる激戦で、民主党前議員の岸本周平さんが自民党新人の門博文さんを「ハナ差」でかわし、逃げ切った。もちろん惜敗率99.6%の門さんも比例で復活当選した。
*2 2009年9月1日の余談独談で、タイトルも「オセロゲーム」だった。




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