明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談 / 志談 市談 私談

市民が主役



余談独談




海に道あり

 先日、千里・万博公園の国立民族学博物館を見学する機会があり、6月上旬まで同館で開催中の特別展「マダガスカル 霧の森のくらし」を担当者の解説付きで見せてもらった。
 マダガスカル共和国はアフリカ南部のモザンビーク沖約400qのインド洋上にある島国だ。島の面積は世界第4位*1で、587,041km2ある。日本全土の約1.55倍の広さである。
 さて、この特別展はマダガスカル島中央高地(海抜約1,000m)の「霧の森」と呼ばれる地域に暮らす「ザフィマニリ」という人々の生活ぶりを紹介するもので、独特の様々な幾何学模様を刻んだ木製の窓をはじめとする木製品、植物の繊維を編んで作ったカゴ、帽子、わら細工、釘を使わずに木組だけで建てる木造家屋などが実演を交えて見学できる。
 驚きなのは、この地に伝わる文化が、アフリカ南部のものとは異なり、東南アジアのマレー・ポリネシア系の海洋民族と共通点が多く、マダガスカル島の最初の住民が1世紀ごろ東南アジアのボルネオ島から渡ってきたことが学問的に確実視されていることである。
 ボルネオ島とマダガスカル島は直線距離で8,300kmも離れているが、帆走航海用カヌーで途中ジャワ島に立ち寄り、あとは貿易風に乗って一路西へ進めば、ジャワから6,000km、30日あれば到着可能で、1世紀ごろの東南アジア海洋民族の技術をもってすれば十分現実的な航海だという*2。もちろんボルネオ系民族の到達後の約2000年の間に、対岸のアフリカ大陸やアラブの国々からも進出してきた人々がおり、16世紀ごろからはヨーロッパ系との混血も進んだが、DNA研究や言語学、本体の両側に浮きが張り出したカヌーの存在*3などの文化人類学的知見によって、ルーツが東南アジアにあることは動かせないという。
 現代に住む私たちにとって、海は車や鉄道による人の行き来を妨げ、国々の交流を困難にする障害物に見えるが、古代人にとっては海こそが道だったようだ。「“邪馬台国”はなかった」の著書で有名な古田武彦氏が、魏志倭人伝に記された女王国からさらに彼方にある国々の記述の最後あたりに「また裸国・黒歯国あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし」という記述があるのに着目し、これを南米大陸の国々とする説*4を唱えた。
 この説は学界では全く無視されているが、@縄文式土器とエクアドルの土器の類似A裸国・黒歯国が南米側の伝承にも登場するB北太平洋海流とカリフォルニア海流に乗れば記述通りの期間でエクアドルに到達できる*5――などを傍証と考えれば十分ありうる話だ。
 考えてみれば、明治時代に鉄道が日本全国に次々敷設されるまでは、長距離移動の最も有力な手段は航海で、海に面していた紀州和歌山は、当時は交通の要衝だった。「稲むらの火」の濱口梧陵*6は銚子と湯浅を船でしょっちゅう行き来していたわけだし、多くの紀州人が船を使って内外に雄飛した。海上交通が衰えたことが紀州を田舎にしたとも言える。
 
*1 世界の島の面積ベスト10は1.グリーンランド(デンマーク領)、2.ニューギニア(インドネシア、パプアニューギニア)、3.ボルネオ(インドネシア、マレーシア、ブルネイ)、4.マダガスカル(マダガスカル) 、5.バフィンランド(カナダ)、6.スマトラ(インドネシア)、7.本州(日本)、8.グレートブリテン(英国)、9.ビクトリア(カナダ)、10.エルズミーア(カナダ)。ちなみに、マダガスカル島の面積は本州の面積(227,970km2)の2.58倍、我が国の総面積(377,914km2)の1.55倍である。
*2 ウィキペディアの記述を参考にした。
*3 アウトリガーカヌーと言われる帆走航海用カヌーは、太平洋のマレー・ポリネシア系民族に広く使用され、西はマダガスカル、東はチリから約4,000km離れたイースター島でも見つかっている。逆に言えばマレー・ポリネシア系民族はマダガスカルからイースター島までを行動範囲にしていたことになる。
*4 古田氏は「“邪馬台国”はなかった」でこの説に簡単に触れ、後に「邪馬壹国の論理−古代に真実を求めて−」で詳述している。古田氏が翻訳出版した「倭人も太平洋を渡った―コロンブス以前のアメリカ発見―」はスミソニアン研究所のエバンス夫妻の著作で、夫妻は南米エクアドルの遺跡調査で古田氏と同じ結論を導き出した。
*5 古田氏は倭人伝に「その人寿考、或は百年、或は八・九十年」とあり、別の史書「魏略」に「その俗正歳四節を知らず、ただ春耕秋収を計して年紀となす」とあることを根拠に、「邪馬壹国」の暦が1年に2つ年を取る「二倍年暦」であるとの説を取っており、「船行一年にして至るべし」は今の暦で言えば半年に当たるとしたうえで、現代のヨットによる太平洋横断の例などをを見ても、北太平洋海流とカリフォルニア海流に乗れば半年でエクアドルに着くと主張している。
*6 濱口梧陵(1820〜1885)については8年前の2005年3月29日の余談独談「巨大地震」に安政の南海地震とその復興への貢献について書いており、その文章は私の前著「雑学自典」にも収録している。
直、濱口梧陵の業績は安政の南海地震とその復興だけでなく政治・経済・教育など多岐にわたっている。濱口梧陵については、いずれ稿を改めて書きたい。


map


<back>

 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談 / 志談 市談 私談

 大橋建一へのご意見等は、こちらから。  E-Mail : info@ken-ohashi.jp url