明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役



余談独談




北陸新幹線

 東京―長野(厳密には高崎―長野)間だけしか開通していなくて、1997年の開業*1以来、15年以上「長野新幹線」と呼ばれてきた北陸新幹線が、いよいよ2014年度中に金沢まで開通する見通しとなった。そこでいま再浮上しているのがこの新幹線の名称問題である。
 敢えて「再浮上」という言葉を使ったのは、そもそも98年の長野五輪に間に合わせるため、97年に長野までの開業した時に、国の新幹線整備計画に示された「北陸新幹線」の名称を使うかどうかで、「当分北陸まで行かない路線に北陸の名称をつけるのはおかしい」と主張する長野県と、新幹線を早く北陸へと延長させたい新潟、富山、石川、福井各県の対立があったからだ。JRが問題先送りの「長野行新幹線」という珍妙な呼び名をこしらえ、「どうして上り東京行きまで長野行き新幹線と呼ぶのか」と批判されて、後々のことを考えずに「長野新幹線」にしてしまった。その場しのぎ対応のツケが回ってきたのである。
 長野県側は「15年以上長野新幹線と呼ばれて定着しているのだから、長野の名前は外さず、北陸長野新幹線と呼んでほしい」と強く主張、長野県の31市町村でつくる「沿線広域市町村連絡協議会」は「長野」の名称存続と特急名の「あさま」の存続を決議している。
 一方北陸各県は「全国新幹線鉄道整備法に基づく国の整備計画には北陸新幹線と明記されており、北陸まで延伸されれば『北陸新幹線』となるのは当たり前だ」と<長野>を残すことに強い難色を示している。北陸新幹線は上越駅(新潟県上越市)までがJR東日本管内で、それより西はJR西日本となることもからんで、なかなか決着が着きそうにない。
 私は高崎―長野間が開業した97年当時から、この線の呼称問題が尾を引くことを予感して、「長野行〜〜」はもってのほかで、「長野新幹線」という呼び名もやめた方がいいと考えてきた。その時「これしかない!」と考えた代案が「北信新幹線」という名称である。
 ご存知の通り「上越新幹線」という名称の「上越」は上州(上野=こうずけ即ち群馬県)と越後(新潟県)を通る新幹線という意味で、JRの在来線にはこのような路線名が数々ある*2。それに倣えば北陸地方と信州(長野県)を通る新幹線に、「北信新幹線」という呼び名をつけることは決して不自然ではない。しかも都合のいいことに、この新幹線は長野県の「北信地方*3」を通っているので、長野までしか開業していない間でも「北信新幹線」と呼んで違和感が生じないのである。実は上越新幹線の方は、新潟県の中・下越地方*4を通っていて、上越市など上越地方を走っているわけではない。新潟の人にとっては県南部を意味する上越地方を通らない「上越新幹線」の方が違和感があるのではないかと思う。
 長野までが開業した時点で「北信新幹線」という呼称をJRが思いついてくれていれば、金沢開業が目前になって、呼び名が確定しないという事態に陥らずにすんだのにと思う。
 
*1 1998年2月に開催された長野オリンピック(冬季)に間に合わせるため、1997年10月1日に上越新幹線の高崎駅から枝分かれする形で長野まで開業した。高崎―長野間は117.4km。途中駅は安中榛名、軽井沢、佐久平、上田で、軽井沢から長野県となる。
*2 紀勢線は紀州と伊勢、総武線は下総と武蔵をそれぞれ結ぶ路線、四国の予讃線は伊予と讃岐、土讃線は土佐と讃岐、高徳線は高松―徳島を結ぶ路線名、また阪和線は大阪(天王寺)―和歌山間、八高線は八王子―高崎間の路線である。
*3 長野県は面積が南関東1都3県に匹敵する13,560平方kmあり、気候や風土の違いから、大きく北信(長野市、中野市、飯山市など)、東信(佐久市、上田市、軽井沢町など)、中信(松本市、塩尻市、大町市、木曽福島町など)、南信(諏訪市、茅野市、伊那市、飯田市など)の4地方に分けられる。長野新幹線は東信・北信地方を通っており、北陸新幹線長野―金沢間開業後は長野市から北東に北信地方を進み、新潟県妙高市(上越地方)に入る。
*4 佐渡を除く新潟県は旧越後国で、その昔は越前(福井県+石川県)、越中(富山県)と共に越の国だった(なお、越前国から能登と加賀が後に分かれ、能登と加賀がいまの石川県になった)。その越後国はさらに、南から上越(上越市、糸魚川市、妙高市)、中越(長岡市、三条市、柏崎市、南魚沼市など)、下越(新潟市、燕市、新発田市、村上市など)の3地方に分けられる。上越新幹線は群馬県みなかみ町から新潟県湯沢町(中越地方)に入り、南魚沼、長岡、見附、三条など中越地方の各市を経て燕市・新潟市の下越地方に至る路線で、上越地方とは全く縁がない。なお、国名に「前中後」あるいは「上中下」をつけて地域を分ける時は、旧国時代に都があった京都から近い方が「前」または「上」となるのがルールだった。群馬県が上野で栃木県が下野なのは、北関東には信州方面から入るのが普通だったためで、千葉県の上総が半島の先の海側で、江戸に近い地域が下総となるのは昔は機内から海を通って江戸に入るのがルートだったためという。


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