7月9日に東日本大震災被災地を1年ぶりに視察した。岩手県の釜石から北は昨年と一昨年に訪れているので、今回は岩手県南部の陸前高田市を中心に、大船渡市*1と宮城県の気仙沼市*2、南三陸町*3、石巻市、女川町などを訪れた。関西空港を拠点とする格安航空のピーチ・エアラインが就航し、仙台へのアクセスが便利になったので、8日(月)の公務終了後、関空に向かい、18時55分発の便*4に搭乗、仙台空港(名取市、岩沼市)到着は20時15分、空港アクセス線経由で仙台駅近くのホテルに着いたのは21時半過ぎだった。 |
翌朝、東北新幹線で一ノ関*5に行き、レンタカーで陸前高田市に向かった。同市は宮城県との県境の町で、リアス式海岸の入江にあり、大津波に市の中心部が飲み込まれ、被害が特に大きかった。犠牲者は1800人以上、市庁舎は流され、職員の3分の1近い113人が犠牲になった。市の人口は、震災前より約3,000人減って、現在は19,500人程度という。 |
防潮林の高田松原(約7万本)が根こそぎ津波にさらわれた中で残った「奇跡の一本松」を右手に見ながら、高台にある市役所仮庁舎を訪問、和歌山市から派遣している職員*6の案内で、まず彼の勤務先である教育委員会を訪問、教育長らと面談した後、生涯学習課のメンバーにあいさつした。この課の職員は半数近くが他都市からの応援部隊だという。 |
次に市長室を訪れ、出張中の戸羽太市長に代わって久保田崇副市長らから復興状況などを聞かせてもらった。今も多くの市民が仮設住宅で生活を続けているが、市役所仮庁舎の向かいにある小高い山林を現在造成中で、完成すれば海抜20m程度の住宅地として、仮設住宅に住んでいる人たちの移転場所になるという。また、造成地を切り開いた残土は、津波で流された町の中心部のかさ上げに使われることになっている。とはいえ市全体としては、復興はまだ緒に就いたばかりで、大きな災害から立ち直ることの大変さを痛感した。 |
さて、「奇跡の一本松」は、海水を浴びたために立ち枯れていることが分かり、陸前高田市は、「せっかくの希望のシンボルを失いたくない」と、1億5,000万円かけて復元保存することを決め、募金*7を集め、昨年9月に高さ27mの松をいったん切断、中をくりぬいて防腐加工したうえで芯棒を通し、レプリカの葉っぱをつけて、元の場所に建て直すという10ヵ月近い作業を経て、7月4日に完成式典が行われたばかりだった。一本松の復元については、「枯れた松にお金をかけるのはおかしい」「復興事業の方が大切」とのメールや電話が全国から多数あったが、仮庁舎のあちこちには「奇跡の一本松」の写真や児童が描いた絵が飾られ、「一本松」が住民の希望のシンボルであることがよくわかった。和歌山大空襲で焼け落ちた和歌山城天守閣を、一部の批判を押し切って13年後に再建し、戦後復興のシンボルとして市民に自信をもたらした高垣善一元和歌山市長の英断*8を思い出した。 |
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