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市民が主役



余談独談




伊達と府中

 全国789市に全く同名の市は2組しかない。1954年3月31日と4月1日に相次ぎ発足した広島県と東京都の府中市と、その後に誕生した北海道と福島県にある伊達市の2組だが、実は府中市誕生時にはもう1組の同名市があった。福島県と福岡県の若松市*1である。
 ご承知の通り、「府中」は紀伊や和泉、武蔵など旧国の国府があったところという意味の、いわば普通名詞なので、他にも府中市が生まれる恐れがあり、当時の自治庁*2が慌てて新しく誕生する市が既存の市と同名をつけることができないというルールを作ったようだ。
 その後70年には自治事務次官名で「新たに市となる普通地方公共団体の名称については、既存の市の名称と同一又は類似しないよう十分配慮すること」という趣旨の通知*3が出され、同名市を認めないルールは明文化された。このため馴染んだ町名を市名にできず、やむなく旧国名や方角などを表す文字を加えて新市名とするケースが続いた*4が、95年にJリーグ鹿島アントラーズの本拠地で鹿島神宮の門前町・茨城県鹿島町が市制施行した際、佐賀県鹿島市*5と同名の「鹿島市」を希望、すったもんだの揚句「鹿嶋市*6」で決着した。
 自治省が鹿嶋市を認めたことで同名規制の壁が低くなり、21世紀の「平成の大合併」期になると、総務省は通知に法的根拠はないとし、「強制するものではない。既存の市から異議が出ず、地理的に離れていれば異議を出すつもりはない」と同名市容認に転換した*7。
 さて、私の母方の姓なので、特別の思いがある伊達市である。“先輩”の伊達市は北海道南部の胆振支庁に属し、噴火湾に面する人口36,000人余りの市である。市政施行は1972年で、市名の由来は仙台藩分家の亘理伊達氏(24,385石)の14代伊達邦茂が戊辰戦争に敗れて北海道に移住、有珠山ふもとの今の伊達市周辺を開拓した場所ということである。
 もう一つの伊達市は、福島県北部・中通りの旧伊達町など伊達郡5町が06年1月に合併して誕生した。人口約63,000人。源頼朝にこの地を与えられた伊達氏が豊臣秀吉によって政宗の時代に宮城県岩出山に転封されるまで約400年間本拠地としていたことから伊達と呼ばれるようになった地域だ。5町合併前に地元住民から新市名を公募した*8ところ、トップは「だて市」、ベスト5に「新伊達」「伊達みらい」も入った。当時、沖縄・宮古島の平良市など5市町合併に際して「宮古市*9」とすることが検討されていたこともあって、総務省や“先輩”伊達市の意向を確認した上で「伊達市」とすることになったという。
 福島の伊達市にとっては、地元の思い通りの命名ができて願ったりかなったりだと思うが、最終的に「宮古市」をあきらめた宮古島市や、通知を厳格に運用され、希望する市名のアタマに「北」や「上」、「常陸」、「大阪」などを無理やりつけされられた多くの市は、福島県伊達市の誕生を知って「それならウチだって」と割り切れない思いだったと思う。
 
*1 福島県若松市は1955(昭和30)年、「昭和の大合併」で周辺町村を編入したのを機に会津若松市と名前を変えた。“後輩”に市名を譲った形だが、福岡県若松市の方も63(昭和38)年の小倉、門司、八幡、戸畑、若松の北九州5市合併による北九州市誕生で消滅し、若松区となったため、今は「若松市」は存在しない。一方、北九州市発足で若松市と一緒に消えた「八幡市」は、旧京都府綴喜郡八幡町が77年11月に市制を施行したことで復活した。ただし福岡県にあった八幡市は「やはた」で、京都の八幡市は「やわた」である。
*2 旧内務省が戦後占領軍によって解体された後、1949年に旧内務省地方局に当たる分野が地方自治庁として再発足し、53年に全国選挙管理委員会、地方財政委員会を地方自治庁と統合して地方自治全般を所管し、国務大臣(自治庁長官)を長とする「自治庁」となった。その後60年に自治庁と国家消防本部が統合されて自治省となり、2001年には自治省、郵政省、総務庁などが統廃合されて総務省となった。
*3 自治事務次官通知(昭和45年3月12日自治振第32号)
*4 こうした例は北広島(北海道)、上福岡(埼玉)、東久留米、東大和、東村山、武蔵村山(東京)、大和郡山、大和高田(奈良)、安芸高田(広島)、豊後高田(大分)、陸前高田(岩手)、常陸大宮、常陸太田(茨城)、大阪狭山(大阪)、京田辺(京都)など数え切れないほどあるが、例えば高田市の場合、本家本元の新潟県高田市は1971年に直江津市と合併して上越市となっており、埼玉県大宮市は2001年に浦和市、与野市と合併して「さいたま市」になったので、今は「高田市」も「大宮市」も存在しない。
*5 鹿島市は佐賀県南部の人口約30,000人の市、「昭和の大合併」の1954年に鹿島町など5町村が合併して誕生した
*6 「通知」を素直に読めば、「鹿嶋市」は「類似しないよう」に抵触すると思う。
*7 推測だが、新市の名前を制限することが、合併の機運に場合によっては水を差すことになりかねず、「平成の大合併」推進の妨げになることを恐れて総務省が方針を変えたのではないかと思う。
*8 公募の条件は、既に存在している「伊達市」以外の名前を、ということだったが、それでも「伊達市」と書いた無効票がかなりあったそうだ。そうしたことも勘案して「伊達市」を名乗ることにしたようだ。
*9 岩手県宮古市は戦前の1941年から存在し、05年6月に合併新市となって以後も市名を継続したので、宮古島側は最終的に宮古市に遠慮した形で、05年10月1日に「宮古島市」として発足した。ただ、「宮古島市」の市域は宮古島だけでなく伊良部島など宮古列島の大半の島々で、特に旧伊良部町は「宮古島市」という名前に抵抗感があったように思える。


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