明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役



余談独談




不出馬の決断

 16日の土曜日に開催された「大橋建一市長を囲む女性のつどい」で、私は来年8月24日の任期満了をもって市長職を退くことを表明した。誰にも相談せずに決めた全く突然の表明であり、私の決心を知っていたのは妻だけだった。4選出馬へのステップの一つとして女性集会開催の準備に当たってくれた後援会の方々には誠に申し訳ないと思っている。
 決断した理由は3つ。まず、初心は果たせたという自負である。11年余り前、私は市民が誇りに思える和歌山市にすること、そのために信頼される市政と気くばりある市役所を心がけ、厳しい市財政を立て直して、市民が希望を持てるまちづくりを使命と考えて、いわば未来への橋渡し役として市長に立候補し、大きな支持をいただいたのであり、以来、財政健全化はじめ諸課題に立ち向かい、その役割は3期でほぼ実現できたと自負している。
 二つ目は、やっぱり首長の多選は良くないという思いである。このところ、「2年後の国体まではぜひやってもらわんと」とか、「4選でも5選でも頑張ってほしい」という声をよく聞くようになり、市民の間に絶対にあるはずの「12年でも長い。そろそろ代わったほうがエエで」という声は届かなくなっている。それ自体が多選の弊害だと思う。本人に面と向かって「市長、もうそろそろやめといた方がエエで」というのは、相当勇気のいることで、表面上は激励しつつ、内心は「そろそろ」と思っている人もいるのではないかと思う。
 第三は個人的なことだが、私を支えてくれた方々をこの間相次いで失ったことである。昨年夏、有地正博特別秘書が突然死去した。7年前に就任して以来、多くの方から私には耳に痛いご意見や忠告を聞いて、対応に努めてくれた。心労は如何ばかりだったか。まさに片腕をもぎ取られた思いで、彼を失ったショックとダメージは言葉で言い尽くせない。
 2人目は和島興産社長だった島和代さんがこの5月に亡くなったことだ。和代さんは島精機製作所の島正博社長夫人で、倒産した旧丸正百貨店ビルを買い取り、「フォルテワジマ」としてオープンさせ、「旧丸正ビルを商業施設として再開する」という私の初当選時の公約実現を助けていただいた恩人である。和代さんは厳しいことをズケズケ言う人だったが、心は温かい肝っ玉母さんだった。突然のご逝去は今でも信じられない。橋本進元県議会議員の麗子夫人も今年正月に突然亡くなった。麗子さんには、私の父の死後ずっと母の面倒を見ていただき、私たち夫婦が和歌山に戻って以後も、多忙で家に居つかない私たちを助けて、母をケアしてくれていた。92歳の母が元気なのは、ひとえに麗子さんのお蔭だった。
 さて、私がこの6月まで2年間会長を務めた中核市市長会の42市長の平均年齢は57.8歳、最高齢が70歳である。1期が18人、2期が14人、3期が9人、4期は1人しかいない。私は3期目の任期満了時には68歳、橋渡しの時期だというのが客観的な見方だと思う。
 


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