明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役



余談独談




お伊勢まいり

 今年の正月は4日と5日が土日で仕事始めが遅く、昨年末も28日が土曜日だった関係で、仕事納めも1日早かったので、正月休み期間が9日と例年より3日多く、私も少しのんびりさせてもらうことができた。年末の28〜30日には夫婦で伊勢志摩に出かけ、式年遷宮の終わった伊勢神宮に参拝し、近郊にある夫婦岩の二見と鳥羽の海を満喫させてもらった。
 「お伊勢まいり」は、恥ずかしながら、私にとって今回が初めての体験で、伊勢志摩に行ったのも、父が亡くなる直前の1975年7月に父母と橋本進さんらで近鉄特急に乗り、鳥羽で泊って以来、実に38年ぶりだったので、あの時の元気だった父の姿*1を思い出した。
 阪和自動車道から西名阪道、名阪国道を経て関ジャンクションから伊勢自動車道に入る。心配していた渋滞はなかったが、名阪国道の奈良県側山間部は道路の両側の林が雪に包まれていて、外気温は1℃。路面の凍結を気にしながらも、妻運転の旧型プリウスは快調に伊勢内宮を目指す。途中トイレ休憩1回のみで正午過ぎに伊勢インタチェンジを降りた。
 ところがここからが大変だった。内宮に近い駐車場はどこも満車で、2時間待ちの表示。探し回った末に誘導されたのは、おはらい町の入り口より北の五十鈴川東岸の河川敷駐車場で、寒風吹きすさぶ河川敷を歩いて、橋を渡ってやっとおはらい町にたどり着いた。
 空いている店を探して腹ごしらえを済ませ内宮へ。帰りはおはらい町とおかげ横丁を端から端まで歩いたが、通りの両側の食べ物店の多くは、松阪牛の串焼きとか「天ぷら」と呼ばれるさつま揚げのような串、焼き貝やエビそして団子、ソフトクリームなどを店頭で調理販売しており、どの店も人が群がっていて渋谷か新宿を歩いているような感じだった。高齢の方だけでなく、若いカップルや女性グループが多いのには、ちょっと驚いた*2。
 内宮参拝の話に戻る。鳥居をくぐり、両側を樹木に囲まれた参道を歩くと、自然に厳かな気分になっていく。徒歩約15分、20年の歳月を経て、すっかり傷んでしまった旧神殿と、ピカピカの木材と分厚い萱葺き屋根が印象的な新しい神殿が並ぶ正宮に着いた。参詣者が群がる中、お賽銭を投げ、二礼二拍一礼。山と海に囲まれ、五十鈴川の清流に育まれた鬱蒼とした樹木の中に鎮座する正宮に参拝すると、心が洗われて清々しい気分になった。
 日本人は大昔からずっと、海・山・川を畏敬して、神として大事に奉ってきた。ところが、環境の世紀と言われる今世紀、私たちは東日本大震災と福島第一原発事故を体験し、自然の脅威とそれを軽視することの怖さを目の当たりにしたことで、改めて自然を大切に思うわが国の伝統の素晴らしさを再認識したのではないか。伊勢神宮に参拝する若い人たちが、こうした日本の良き伝統を受け継いで、わが国のかけがえのない自然と、水や空気も含む環境を大切に思う心をもっともっと育てて、未来を開いてほしいと強く思った。
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 皆様、明けましておめでとうございます。市長として最後の年になりますが、任期満了まで全力を尽くし、残された課題に取り組んでまいりますので、よろしくお願いします。
 
*1 このホームページ「父との思い出」コーナーに「1枚の写真」という題で、その当時の思い出話を掲載している。
*2 この日は鳥羽で1泊し、翌日朝から外宮にも参拝したが、こちらも大勢の参拝客でにぎわっており、やはり、若い人の姿が目立っていた気がした。


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