明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役



余談独談




二拝二拍手一拝

 前回の余談独談に続いて「礼」の話である。通常、初詣などで神社に参拝する時の礼式は「二拝二拍手一拝」あるいは「二礼二拍手一礼」といい、まず2度お辞儀(拝または礼)をし、そのあと平手で2度拍手して、最後にもう一度お辞儀する*1のがしきたりである。
 「礼」と「拝」はどう違うかといえば、「礼」は軽いお辞儀、「拝」は深々としたお辞儀、いわば最敬礼である。神事の時の神主の所作を見ていると、杓を持ったまま2度、ほぼ90度の深いお辞儀をした後、杓を帯に挟んで二拍手し、その後再び杓を持って深々とお辞儀する。このスタイルは完全に「拝」である。しかし、地鎮祭などで安全を祈願して玉串奉奠をする場合、施主あるいは来賓として参加する私たちも含め、一般の参拝者は、最初のお辞儀2度も後の1度も、軽く頭を下げるのが普通で、これは「礼」ということになる。
 話が少しそれるが、ご承知のように、神式の葬儀の時も参拝者の礼式はほとんど変わらないが、二拍手する際に音を立ててはいけないのがルールで、これを「しのび手」という。
 さて、1月7日の余談独談で昨年末に伊勢神宮を参拝した時に若い参拝客が多かったことに触れたが、若者の多くが、参拝に向かう時も参拝を終えてからも、鳥居を通る度に一礼していたのに感心し、私たち夫婦も見習った。ところが後で調べてみると、最初の鳥居の前で軽く低頭した後は、鳥居ごとにお辞儀をする必要はないそうだ。むしろ大事なのは、一の鳥居をくぐった後、参拝者は参道の端を歩かなければならないという作法らしい*2。
 私が伊勢参りの時に気になったのが、「二礼二拍手一礼」の、「パチパチ」の二拍手目で両手を離さず、仏前で手を合わせるような仕草に移行したまま、長々と合掌している人が多かったことだ。市内や県内の神社でもこんな「合掌」をする参拝者が最近増えており、初詣の時や、伊勢神宮など参拝者が多い神社では、行列が渋滞する原因にもなっている。
 確かに、神社での参拝のマナーについての本やHPでは、二拍手目の後、軽く手を合わせると書いているものが多いが、神社本庁製作のYOU-TUBEを見ても、「軽く手を合わせ」ている時間は1秒程度で、本殿の前で長々と合掌するのはマナー違反だと分かる。
 神式と仏式が混同されたような長い合掌が行われるようになったのはなぜだろうと考えていたら、テレビのいくつかの旅ルポルタージュ番組で、有名タレントが神社に参拝し、同じように二拍手目のまま合掌して長いお祈りをしているのを見た。テレビというのは影響力が大きく、そこで有名人がやっていることは正しいと思い込んでしまう人が多い。しかし、実際には有名人が礼式に詳しいとは限らないし、タレントを指導する立場のはずのテレビのプロデューサーたちは常識に欠ける人物が実は多い。前回*3と同じ結語で申し訳ないが、テレビ番組が世の中に間違った作法を撒き散らしているのは全く困ったものだ。
 
*1 神社の礼式はすべて「二拍手」かというと、そうではない。まず出雲大社が「二拝四拍手一拝」であり、宇佐八幡宮(大分県)や弥彦神社(新潟県)も四拍手である。江戸時代までは四拍手の方が定式だったという説もある。神道系の新宗教では、天理教と金光教が「一礼四拍手一拝四拍手一礼」、大本教は「二礼四拍手一礼」、黒住教はちょっとややこしいが、簡単に言えば「一礼一拝二拍手二拝」のような形である。
*2 「YAHOO知恵袋」の伊勢神宮参拝マナーについての質問に、「伊勢 皇学館大学 助教授」の回答として「宇治橋の鳥居はお辞儀して、あとは しなくてもいいです。よく中で、鳥居がくる度に一礼しておりますが 邪魔でなりません。伊勢神宮の神主でも 宇治橋の鳥居では お辞儀しますが 中の鳥居では 一切やりません」というのが掲載されている。もっとも、これはベストアンサーではなくて、鳥居ごとにお辞儀する方がベストアンサーに選ばれている。でも私は「皇学館大学助教授」の方がベストアンサーだと思う。
*3 2月4日の余談独談「敬礼」の結語も「テレビ番組が世の中に間違った礼儀作法を撒き散らしているのは全く困ったものだ。」だった。


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