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友ヶ島

 本来なら、「惰学記」のUP予定日ですが、諸般の事情で「余談独談」のスペシャル版を掲載します。通常と違って写真、地図つきです。テレビ和歌山の「わがまち和歌山〜〜市長の現場視聴室」で1日(日)17時30分から「友ヶ島編」が放映されます

 先日、「市長の現場視聴室」のロケで、市内の観光スポットの一つ、友ヶ島を訪れた。
 友ヶ島は和歌山市の加太沖、紀淡海峡に浮かぶ「地ノ島」「神島」「虎島」「沖ノ島」の総称だが、中心は沖ノ島で、加太港から約20分定期船に乗ると沖ノ島の野奈浦桟橋に着く。
 友ヶ島は明治から終戦前までずっと軍事上の要衝で、大阪湾に入ろうとする不審な船を撃退するための砲台が沖ノ島に5カ所、干潮時には地続きとなる虎島にも1カ所建設され、潜水艦の侵入を探知するための旧海軍聴音所跡などもあって、軍用に作られた未舗装の道路で結ばれている。砲台の台座や弾薬庫、宿舎なども元の形をとどめて残っており、昨年「友ヶ島砲台群」として土木学会選奨の「土木遺産」に指定された。最西端の第1砲台跡近くには日本で8番目に古い「友ヶ島灯台」(現在は無人)があり、航行する船の安全を守っている。
 沖ノ島の頂上は海抜120bのコウノ巣山。わずか10`先に淡路島南部の由良港が見える南西の海、好天に恵まれると明石海峡大橋が見える北の海が展望台から見渡せる。付近には関西空港に向かう飛行機が真上を通る誘導塔、砲台跡の中で最も規模が大きく、煉瓦造りのアーチ型入り口が美しい弾薬庫がほとんど原型のまま残る第3砲台跡もある。この弾薬庫は真夏でもひんやりとして快適。場所が良ければワインレストランにできそうだ。
 戦前はもちろん一般人立ち入り禁止だったが、占領軍が武装解除のため上陸し、終戦直前まで米軍の軍艦を砲撃していた第2砲台を破壊して引き上げて以後は誰でも島に渡れるようになった。昭和20〜30年代はキャンプ地として近畿地方ではかなり有名で、最盛時は年間9万人の家族連れや団体が照葉樹に覆われた島内を散策していた。しかし、日本が奇跡の復興を遂げるに連れて、子どもたちの遊び場所が遊園地やディズニーランドなど人工的な大テーマパークに変わり、友ヶ島はすっかり忘れられた存在となった。当時放たれた台湾産のハナジカとタイワンリスが野生化して今も住み着いている。
 観光客があまり訪れないおかげで俗化せず、自然が残る素晴らしい観光スポットとして健在なわけだが、もう少しは人が来てくれないと、せっかくの場所が「宝の持ち腐れ」となる。私が訪問した日は大阪の高校生らが団体でキャンプしていたり、茨木市からの親子連れ客もいたが、年間の来島者は15,000人程度に落ち、天気の悪い日は1日2人しか客がないこともあり、連絡船を運航している友ヶ島汽船という会社は青息吐息である。
 この定期船、南海電鉄の子会社が長く運航してきたが、4年前、観光客減少を理由に撤退してしまった。今南海電鉄は日前宮、伊太祁曽神社、竈山神社の三社参りで親しまれた和歌山市と貴志川町を結ぶ支線を廃止しようとしている。苦しい台所は分かるが、公共交通機関を運行する企業が採算性を理由に次々事業を縮小するのは誠に残念で納得できない。
 関西空港、友ヶ島、和歌浦を結ぶ、海の幸食べ放題の豪華クルージング航路ができるといいなあと思うのだが、そのためには友ヶ島を訪れる人が増えないと。ぜひお越しを!


現場視聴室放映は8月1日(日)17:30〜、テレビ和歌山。再放送は8日10:00〜。


観光船から見える虎島の縞模様の地層


第3砲台跡下の弾薬庫はワイン蔵のような風情がある

米軍が上陸し、破壊した第2砲台跡


正面に淡路島が目と鼻の先に広がる展望台(手前に小さく友ヶ島灯台が見える)


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