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八咫烏(ヤタガラス)


 日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークが3本足の烏であり、神武東征神話に出てくる八咫烏をイメージしていることはサッカーファンの常識である。この八咫烏は、昨年世界遺産登録された和歌山県の熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)の神鳥で、日本に初めてサッカーを紹介した那智勝浦町出身の中村覚之助(1878〜1906)と縁が深いことから、協会設立10周年の1931(昭和6)年にシンボルマークとして採用され、初めて図案化されたらしい。ところが、JFAの公式ホームページでは、「ボールを押さえている3本足の烏は、中国の古典にある三足烏と呼ばれるもので、日の神=太陽をシンボル化したものです」と記し、そのあと「日本では、神武天皇御東征のとき八咫烏が天皇軍隊の道案内をしたということもあって、烏には親しみがありました」と八咫烏に触れている。実は、最近までは後段の部分がなくて、八咫烏は全く登場しなかったのである。JFAはなぜかシンボルマークと八咫烏は直接関係がないことにしたいようなのだ。
 確かに、中国・前漢時代(約2200年前)の古典「淮南子」が、太陽の黒点を3本足の烏に見立てたのが三足烏の起源のようで、日本では奈良・明日香村キトラ古墳(8世紀初頭)の天井壁画の太陽図に三足烏が書き込まれていたのが2年前に分かった。従って、三足烏は「日の神」の象徴として朝鮮半島から日本に伝わり、元々3本足とは無関係だった日本神話の八咫烏と同一視されるようになったという見方もできる。そんな説も踏まえて、JFAは、あえて八咫烏ではなく中国の三足烏をルーツとしたのであろう。
 しかしこれは余りにも不自然な話だ。日本では千年以上前から三足烏といえば熊野三山はじめ全国2000余の熊野神社の共通シンボルである八咫烏のことだ。中村覚之助が那智出身であることを考えれば、八咫烏にちなんでサッカー協会がシンボルマークを作ったのは明白ではないか。にもかかわらず、それに触れずに中国の伝説を持ち出すのは、神話や神社というものに神経質な人たちの抗議に脅える「事なかれ主義」に見える。
 実は、昨春の市議会で市の活性化策に関連して「五輪やW杯の年の定例行事化して日本代表チームが関空から和歌山市経由で八咫烏のご本尊・熊野三山に必勝祈願参拝をしてもらうよう県に働きかけられないか」という質問を受けた。私的には大いに賛成だが、政教分離とか憲法上の問題を考えると、祈願を市長が働きかけることはできず、答弁に困った。
 来年のW杯ドイツ大会出場権をかけたアジア最終予選の初戦・対北朝鮮戦が迫ってきた。それこそ必勝祈願に行きたいところだが、市長というものは、知り合いの神社の行事でも勤務時間中には行けないし、視察途中に近くを通っても厳密にはお参りもできない。初詣、戦没者慰霊や必勝祈願でも宗教関係行事ということで悩まねばならないのは窮屈な話だ。

 
JFAのシンボルマーク

本宮大社の八咫烏

那智大社の八咫烏
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