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読み書き計算


 子供の学力低下が国際的なテストなどで明白になり、文部科学省もお尻に火がついた格好で、「ゆとり教育」見直しに乗り出した。2002年の学校完全週5日制実施とともに「円周率を3と教える」とか「台形の面積は教えない」といった指摘に象徴される「授業内容を3割カットした新指導要領」がスタートしたわけだが、それが失敗だったことを文科省も認めざるを得なくなったということだ。実験台になった子供こそいい迷惑である。
  ただ、新指導要領はまだ3年しか実績がないわけで、それにすべての罪を着せるのは酷だ。問題はもっと前から起きているのである。
  新聞社の社長室委員をしていた99年ごろ、教員の研修に付き添ったことは「惰学記」9回の「警視庁」で書いた。今でもはっきり覚えているのは、研修時の雑談で、中学の先生が「いま中学校は大変です。九九が出来ないまま小学校から上がってくる子がたくさんいるので、まず算数の補習をしなければならないんです」と深刻そうに話していたことだ。7年近く前の東京での話だが、私は、その時以来「ゆとり教育」とか「個性尊重」とか「考える力を養う」といった文部(科学)省の美辞麗句に大きな疑問を持ち続けてきた。
  ごく単純化して言えば、日本人がかつて米国などに比べ学力が高いと評価されていたのは、基礎教育、とりわけ「読み書き計算」の能力がきちんと備わっていたためである。
  外国人は、日本の店員が瞬時におつりを正確に計算することと、ブツブツ呪文を唱え、あっという間に掛け算の答えを出してしまうことに一番驚くといわれていたが、これは大半の日本人が昔は九九を始めとする基礎的な計算力を身につけていたということだ。
  声を出して何度も読む、書き取りの練習を繰り返して字を覚える、九九を暗唱する。これらはいずれも反復練習で身につくもので、教育の基礎は考えることではなく、反復練習して体で覚えることだということを示している。私もお風呂で毎日九九を暗唱させられ、ちゃんと言えないとお湯から出してもらえなかったので、あっという間に覚えてしまった。
  1989年、「詰め込み教育」への反省から「ゆとり教育」へと大きく指導要領がシフトした時、基礎教育と詰め込み教育を混同するような風潮が生まれ、結果的に基礎教育、とくに反復練習が軽視されるようになったことの影響が今の学力低下を招いたと私は思う。
  週5日制で授業時間が減った結果、九九学習に学校が使う時間は小学校2年の2学期だけである。私は九九の表は、2の段の「22が4」からで十分だと思うが、教科書の表は「11が1」で始まる。それこそ無意味な呪文としか聞こえない「いんいちが1」から「いんくが9」、さらに「にいちが2」「さんいちが3」「しいちが4」などを唱えさせるのは時間の無駄だ。覚える式を減らせば、反復機会が増え、九九嫌いも減らせるのではないか。

小学校2年の教科書に載っている九九の表(完成版が載っていない教科書もあります。「考える力を養うため」だとか)

1の段と列を外した私家版九九表。私はこの方がずっとすっきりしていると思いますが
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