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巨大地震

 スマトラ沖でまた大地震があった。昨年10月の新潟県中越地震、年末のスマトラ沖地震に続いて3月20日には福岡県西方沖地震が発生しており、最近の地震は「天災は忘れぬうちににやってくる」勢いだ。東海・東南海・南海地震が30年以内に起きる確率は最近軒並み「格上げ」され、東海は何と84%以上、東南海が60%以上、南海地震は50%以上となった。東南海・南海地震とそれが引き起こす大津波の被害が予測される紀伊半島沿岸の住民は、地震報道のたびに「明日はわが身」という不安な気持ちが募る昨今である。
 私が住む名草地区は、桜の名所・紀三井寺や34年前に開かれた和歌山国体の主会場だったスポーツ施設、1994年に行われた世界リゾート博覧会場となった和歌山マリーナシティなどがあり、海に近いので住民の津波への不安が強い。昨年末に連合自治会主催で行った津波避難訓練に3000人近くが参加した。また、住友金属の工場に近い松江地区の避難訓練は、寒さ厳しい2月に行われたが、予想の300人を大幅に超える530人が参加し、全員に乾パンとお茶を配るつもりが、どちらかしか渡せなくなってしまった。
 ところで、インド洋大津波以来、和歌山県が生んだ偉人・浜口梧陵 (儀兵衛=1820〜86)の功績が再評価されている。梧陵は現在の千葉県銚子市で醤油醸造業を営む豪商浜口家(ヤマサ醤油の前身)の分家の長男として日高郡広村(現広川町)に生まれ、後に本家の養子になり、千葉と和歌山を往来しながら佐久間象山に学び、勝海舟、福沢諭吉とも親しく、広村に現在の耐久高校の前身である文武両道の稽古場「耐久舎」を開いた。
 1854年12月23〜24日に連続発生した「安政の東海、南海地震」(共に推定M8.4)の際、大津波に巻き込まれた人々を救うため、漂流者が陸を見失わないよう、たいまつで稲むらに次々火を放ち、これにより「万死に一生を得たもの少なからず」だったという。梧陵はその直後から近隣の村から米を借りての炊き出しなど救援活動に奔走、資産家の寄付を募り、道路や橋の修復工事などを指揮、私財を投じて避難所を建設し、極貧者を無料で住まわせた。さらに、いずれまた大津波が来ると考え、紀州藩の許可を得て大堤防建設に着手し、災害で職を失った村人に職を与えた。建設費のほとんどを私財で、4年近くかけて完成した高さ5m幅20m長さ600mの立派な広村堤防は地域住民を守り続け、戦後間もない1946年に発生した昭和南海地震津波の時も多くの住民を救った。
 この話に感動したラフカディオ・ハーンが「A Living God」と題する短編で世界に紹介、それが日本語に再訳され戦前の教科書に採用された。今こそ、梧陵の業績を再度教科書ですべての子どもたちに伝えるべきだと思う。(浜口梧陵の事績については防災システム研究所のHPに掲載されている山村武彦氏の「稲むらの火」を参考にしました)
 先日、休みを使って広村堤防を見学に行ったが、改めて梧陵の偉大さを実感させられた。


浜口梧陵の築いた広村堤防は今も立派な「現役」である

業績が刻まれた銅版(右)が立つ梧陵の墓所
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