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 「憂楽帳」は毎日新聞夕刊社会面に掲載されるコラムです。1966年に現在の竹橋に移るまで、毎日新聞東京本社があった有楽町の地名に引っ掛けて命名されたもので、50年以上の伝統があります。東京では編集局の部長クラスが週1回、3ヵ月交代で書くことになっており、私は97年4月から6月まで毎週水曜日に計13回書きました。何か趣向が必要と思って、題名を工夫しましたが、毎週題材に四苦八苦しつつ楽しく書かせてもらいました。このコラム掲載終了と同時に私は編集局を離れ、社長室という経営企画部門に異動しましたので、記者生活最後のコラムということでも感慨深いものがあります。
 なお、和歌山など大阪本社発行の新聞が配られる地域では、大阪の編集局幹部が書く憂楽帳を使うことが多く、私のは日の目を見ていません。

■第1集  ■第2集  ■第3集



■第1集

これが私の生きる道

  厚生省汚職事件の岡光序治前事務次官が小山博史・彩福祉グループ代表から最初に現金を受け取った時のせりふは「悪いね。ありがとう」だったそうだ。3月26日に行なわれた初公判の冒頭陳述で検察側が明かした。あのロッキード事件での故田中角栄元首相の「よしゃ、よしゃ」にも匹敵する印象的な描写である。おじさんたちは、時代劇によく出てくる「ムフフ、越後屋。おぬしもワルじゃのう」という悪代官のせりふを連想してしまう。
 たまたまその日は甲子園球場で開催中の選抜高校野球開会式の日。若い人はセンバツ行進曲となったPUFFYの「これが私の生きる道」の「悪いわね
 ありがとね これからも よろしくね」という一節を思い浮かべたようだ。当日夕刊社会面の見出しを担当していた整理記者もその一人で、「悪いわね ありがとね」を見出しにできないかとか、「近ごろ役人たちは いいかげん」「これが官僚の生きる道」など歌詞のもじりを半ば真剣に考えていた(もちろん、しなかったが)。
 ところで、「悪いね」は「済まない」「申し訳ない」の意味。かなり一般的な用法で、辞書では「悪い」の欄の最後あたりに普通載っているが、なぜか広辞苑にはなかった。岡光被告とPUFFYの”功績”で、次の広辞苑は採用するかもしれない。

 

ふじの山

 4月は転勤シーズン。今年も多くのお父さんが単身赴任を始めたはずだ。私も5年前まで2年ほど名古屋に単身赴任して、月に何回か新幹線で東京−名古屋を往復したが、その時の車窓の一番の楽しみは「あたまを雲の上に出し・・・・」と歌われた富士山だった。
 空気が澄んだ晴天の日なら、富士山は新横浜の少し先から姿を現し、三島を過ぎると窓いっぱい広がる。寝ている人以外は窓にくぎ付けとなり、列車が富士山を越え、蒲原トンネルに吸い込まれるまで首を右に向け続ける人がほとんどだ。富士山には日本人の心を突き動かす何かがあるようだ。
 その富士山、浜松を過ぎて浜名湖の辺りまで来てもまだ湖面の東隅にかすかに見える。いつまで見えるかはJR東海も「調べたことがない」そうだが、私の記憶では愛知県に入った途端に、なぜか全く見えなくなってしまう。
 もっとも、これからの季節は残念ながら春霞にさえぎられて富士山はあまり見えない。よく見えるのは秋から冬の「空気が澄んだ時期」(気象協会静岡支部)。単身赴任の方はしばらくは安心して車内でまどろんでほしい。
 ところで、「富士山が今きれいに見えています」と車内放送する車掌さんがたまにいるけど、あれは安眠妨害だからやめてもらえませんか。見れば分かるんだから。

 

涙 止まらない

 長崎の被爆者、小峰秀孝さん(56)の「じいちゃん その足どげんしたと」(新風書房)を読んだ。ボランティアで被爆者の自分史を紹介する冊子を発行している栗原淑江さんらの勧めで、小峰さんが「心の奥をえぐり出すような思いで」書いた本だ。
 4歳で被爆、両親の懸命の看護で生命は取り留めたが、足はひどいケロイドとなり、まっすぐ歩けない。数度の手術と必死の訓練で普通に歩けるようになったのは小学4年生の時で、想像を絶するいじめと、心ない教師の差別的態度に傷つきつつも、それと戦い成長していく。卒業、理髪見習、恋と結婚、10年後の離婚、娘2人と幼い長男を引き取っての理髪師稼業。娘の非行、更正、結婚、出産……。波瀾の人生の陰に、被爆体験が重くのし掛かっていたことが、素朴な筆致で伝わる。
 そんな小峰さんが、当時小学生だった長男の「お父さんに聞いた話」という作文に触発されて、被爆体験の「語り部」を始め、その反響に勇気つけられてこの自分史を書くことになった。
 昨夏自費出版、第2回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞、1月に大阪の新風書房(06-768-4600)から再出版。本体価格1000円。
 小峰さんの長女が父へのメッセージとして書いている通り「読んでいて涙が止まらない」。

 

惜別の歌

 今月3日と7日、女傑といわれた名馬が相次ぎ他界した。日本代表馬としてアラブ首長国連邦のドバイに招待され、レース中に他馬と接触、骨折して安楽死となったホクトべガと、北海道の牧場で32歳の天寿を全うしたトウメイ。あまりにも対照的な死だった。
 ホクトべガは8歳。全国の中央・地方計13競馬場を走り42戦16勝。「砂の女王」と呼ばれ、砂コースで行われた地方競馬との交流レース10戦10勝という大記録を持つ。テンポイントやライスシャワーなどレース中の悲劇は少なくないが、引退レース、しかもはるかな異国での死だけに思いもひとしお。「遠き別れにたえかねて……」という歌の一節を思い出してしまう。
 トウメイは1971年秋の天皇賞と有馬記念を勝った。420`台と小柄ながら、マイル線にも長距離にも強い男勝りの馬。子のテンメイが78年秋の天皇賞に勝ち、史上初の天皇賞母子制覇で話題となった。昨年7月13日に35歳で死んだ5冠馬シンザンには及ばないが、トシに不足のない大往生だ。
 ところで、トウメイの父はイタリア産のシプリアニ。ペルー人質事件の仲介役だった大司教と同名だ。このシプリアニは73年に、いやがる種付け相手の馬に無理やり乗ろうとして蹴られ骨折、「帰らぬ馬」となった。これも壮絶な“殉職”だ

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